Saltwater Game Fishing
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| 最初の男達 ●ツナ・クラブの誕生 錚々たる人脈と伝統を持つターポン・フィッシングと同様、海のビッグゲーム・アングリングにも、公式に認められた記念すべき日もあれば、いつまでも語り伝えたい人物もいる。 1898年6月1日、カリフォルニア州パサデナ在住のチャールズ・フレデリック・ホルダー(1852〜1915)がカタリナ島沖で83kg(183ポンド)のブルーフィン・ツナをロッド&リールで釣った。 ホルダーがロッド&リールでツナを仕留めた釣り史上最初の男だという訳ではないが、このことは、W・H・ウッドがロッド&リールで、実際、最初にターポンを釣り上げた訳ではないのに“最初の男”とされているのと同様である。現実はどうであったかは、ここでは取るに足らない問題であり、大事なことは、とにかくこの二人がターポン・フィッシングとビッグゲーム・アングリングという二つの分野に世間の注目を集めたことである。 |
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| いつの世でも、事あるごとに非難や中傷はつきものであるが、この一件に関しての様々な中傷は、例えば、“コロンブスよりも遥か以前に新大陸に行っていたかもしれない”フェニキア人や中国人、それにバイキング・セーラー達を例に出すような議論とさして変わりはない。歴史に関する限り、事実というものは、実際、記念日が定められたり制度化されない限り、意味を持ってこないという側面がある。 C・F・ホルダーが釣った、その“最初のツナ”に関しては、調べれば調べるほどに興味の尽きない逸話があるが、当時の関係者の間では、ホルダー以外の人物をヒーローとしては断固として認めなかったという事実もその一つである。しかし、面白いことには、ホルダー自身が、自分はロッド&リールで最初のツナを釣ったアングラーではないと認めていることである。 『The Log of a Sea Angler』(1906年出版)の中で「私が最初にツナを釣った訳ではなく、最初の大型ツナを釣り上げたのだ」と述べ、他の文章中でも、彼は更に詳しくこの点について語っている。 誰がファースト・ツナのパイオニアであるかという点に関しては、釣史家の間でも定かな解答は出ていない。というのも、文献によって、そのパイオニアたる人物の名前が異なって記述されているからである。『In an Isle of Summer』(1913年出版)の中でホルダーが語るところによれば、「ロッド&リールでブルーフィン・ツナを釣り上げようとする試みは、1890年代の半ばに遡る。そして、次第に人々の間にビッグゲーム・アングリング熱が高まり、1896年、C・P・モアハウス(大佐)が最初のツナを釣り上げた」。 |
| また、『The Game Fishes of the World』(1913年出版)の中で、ホルダーは「ツナは、確かに私が183ポンドのものを釣り上げる以前にも捕えられていて、W・グリアー・キャンベルの名が知られているが、ただし彼のはあまり大きくなかった」と述べている。 このように、文献によりまちまちなことが述べられていては困惑するばかりだが、ここに最も中立な立場で書き記してくれたであろうホレース・アネスレイ・バッケルの一文を紹介してみよう。カタリナ・ツナ・クラブの発足当時のオフィサーの一人であった彼は、ホルダーやモアハウス、それにキャンベルとも懇意であった。彼は『Pall Mall』誌の1898年11月号に、『Tuna Fishing in the Pacific』というタイトルの記事を載せ、その中で「1896年にパサデナのモアハウスによってロッド&リール、それにターポン・ラインを駆使して釣り上げられたファースト・ツナは上がった時には既に死んでいた」と報告している。 1898年6月2日の『Pasadena Daily News』ではホルダー自身によって提供されたインフォメーションに基づいて、ホルダーの釣りに関する記事が掲載された。それは「3時間45分という長時間に渡ってねばり強く大物のブルーフィンとファイトを続けた」「教授はアングリング界における過去のあらゆる収穫をしのいだ」等のホルダーを称える記事で埋められた。 |
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| 同日、『Los Angeles Daily Times』はこの快挙を報じ、アバロン在住の作曲家であるC・A・クラークが彼の最新作に“The Tuna Two-step(ツナ円舞曲)”という題名を付けたと発表した。 『Pasadena Daily News』の6月3日付にはこのニュースが再度取り上げられ、「カタリナで大きな魚を釣りたければ、パサデナ人の近くにいなさい」と読者にアドバイスをしている。 6月15日、カタリナ・ツナ・クラブの予選大会が開かれたが、この時の大会を報じた中で『Pasadena Daily News』は、ホルダーが仕留めたビッグ・フィッシュに再び手放しで喜びを表わしていた。さらに「ホルダー博士が183ポンドの魚を釣り上げたことに疑いを持つ者がいるなら、我が社のオフィスには証拠写真がある」とも付け加えていた。最後に『Los Angeles Daily Times』紙の一節を紹介しよう。 「ホルダー教授の主張によれば、実際のツナの重量は183ポンドよりも5ポンド程重いものであった。というのも、血液が失われてしまったために重量が減少してしまったからである。1898年8月22日、『ホテル・メトロポール』で開催されたカタリナ・ツナ・クラブの会議では188ポンドの件について触れ、彼の釣った魚はレコード・フィッシュであることを確認している」。 ホルダーがこのように様々な報道に協力した動機は、単に自己宣伝のためだけではなく、この土地以外のアングリング仲間と、この釣果の喜びを分かち合いたいと思ったからである。彼はマサチューセッツからフロリダまで釣り歩いた経験があるが、南カリフォルニアの海岸沖ほど、気象といいゲームフィッシュの豊富さといい、アングラーにとって楽しい場所は他に無いと感じていたのである。 更に重要なことは、ロッド&リールによるツナ・フィッシングを広めることによって、多くのハンドライナー(手釣り師)達の意識革命を計ろうと考えたことである。同時に、ホルダーと彼の仲間達は、商業上のネッティングによる悪影響を阻止する運動を開始した。ロッド&リールでツナを追い求めて行くアングラー達のクラブを組織することによってスポーツとしてふさわしからぬ手段によるゲーム・フィッシュの捕獲を、たとえ法律によって使用が禁止されることがないにしても、彼らは止めさせようと考えたのである。 |
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