- 金と時間がたっぷりあって、最新の道具や装備と高性能の船と腕のいい案内人とを揃え、とにかく釣れるまでは帰らぬと念じていれば、誰にでも大魚を釣ることが可能だ。
- 大物が群遊するシーズンに、群遊する場所へ行き、持てるだけの時間を釣りに費し、案内人の指示どおりにやればいいのだ。遅かれ早かれ、聊かの幸運が回ってきて、優勝者になれるだろう。とりわけ、鮪を狙う場合には。マ−リンは鮪よりも相当に難しい。メカジキはもっと高くつく。最大級のメカジキが実際にいる場所に行くには時間も金も余分にかかるからだ。そしてそこに着いたとしても、今度はかの偉大なる先人、ジョージ・テュ−カーを打ち負かさねばならぬ羽目となるのだが、これは至難の業だ。挑戦者にとって生憎なことに、テューカーはまことに卓越した釣師なのであって、かつメカジキは彼の前座ともいうべきところを群遊しているのだから。
しかし海の大物釣りは、世界の幾つかの場所において頽廃の危機に瀕している。
- 金を一番ふんだんに持つ者がたっぷりと時間をかけさえすれば、最大の魚を捕える最高の機会にありつける、という娯楽に堕しているのだ。その結果、よく知られた大物釣りの競技会などは、あまりにも金がかかるがゆえに一種の社交の場と化し、本来優勝者となるべき、より腕のいい釣師たちを締め出してしまっている。
海釣りは万人のためのスポーツであって、その全ての部門に面白味がある。
- グレイ・スナッパー(フエダイ類)から青鮫(マコ・シャーク)に至るまで、スポーツ・フィッシングの対象魚で釣師に歓びを与えぬ魚はない――青鮫は歓び以外の何かをも、少し与えはするが。私の願いはただ、青鮫にしても鮪にしても巨大マ−リンにしてもメカジキにしても、全ての釣師が、釣ろうと思えば釣れるような状況になって欲しいということだけだ。
ヴァン・キャンペン・ハイルナーは、海釣りの草分けである。きわめて早い時期には彼は、フラットでのボーンフィッシュ釣りや密林の川でのターポン釣りや投げ釣りのほうが、巨大な魚を釣るよりも面白味があると看做していた。大物用の省力型の道具類が、当時はまだ考案されていなかったのだ。しかし重装備のスポーツ・フィッシングが発達する中で、彼はその主要な流れに遅れをとらなかったばかりか、国際釣魚協会(IGFA)の組織設立以来の副総裁として大任を果たしてきた。IGFAは、ハイルナーが永らく参画してきているアメリカ自然史博物館に属し、すべての“大魚”記録の認証を行なっている。
ヴァン・キャンペン・ハイルナーは、古参釣師であると同時に立派なスポーツマンであり、鴨撃ちの名手でもある彼は人に教えることを多く持ち、また自身、常に学ぶことを忘れない。一人の釣師に関してこれに優る言葉を私は知らない。
キューバ、サン・フランシスコ・デ・パウラ、フィンカ・ビヒアにて 1951年6月
Sources:『ヘミングウェイ釣文学全集下巻・海』朔風社
Preface to Salt Water Fishing, by Van Campen Heilner.
New York:Alfred A. Knopf, 1953 |