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PILAR,THE FISHERMAN
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| ヘミングウェイはその生涯に3回の離婚をし、4回の結婚をした。しかし、所有したフネは38フッターのウッドゥン・クルーザーただ1艇である。 キーウェストとハバナを登録港としたそのフネは、第2次世界大戦と社会主義革命という2つの大きな歴史の節目を越え、彼が亡くなった後もキューバにとどまることとなった。 カリブの海で、ヘミングウェイと共にマーリンを、セイルフィッシュを追い続けたであろうそのフネを、数枚の写真と資料をもとに、今、想像の世界で復元することにしよう。 ヘミングウェイのPilar アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ。彼自身については、すでにあらゆる名文がその人生を伝え、ヘミングウェイ自身の著作の中にも、あきらかに彼、あるいは彼の生活をモデルとした場面が幾度となく登場している。あえてここで彼がどのような人物で、どのような創作活動をしてきたかについて触れるのは、むしろ蛇足というものだろう。 ノーベル文学賞受賞作家にして、たぐいまれな酒飲みの達人。そして海を、フネを、こよなく愛したスポーツアングラー。そのヘミングウェイが、自身第二の故郷と呼び、22年間を過ごしたキューバ。社会主義革命が起こり、その政治的環境は大きく揺れ動いたが、キューバという国と、ヘミングウェイの関係に大きな影響を与えるものではなかったようだ。現在もそこにはヘミングウェイが過ごした家“フィンカ・ビヒア”とともに1艇のフネが保存されている。 |
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“Pilar”。それがこのフネの名だ。英語読みではピラー、現地キューバで使われるスペイン語読みでピラールと発音する。陸に上がったこのフネは、キューバ政府の管理、所有者はかつてこのフネの船長であったグレゴリオ・フェンテスというカタチとなったが、実はこのPilarこそ、アーネスト・ヘミングウェイ自身の愛艇だったのである。 “海流の中の島々”を巡り、ヘミングウェイが愛したフィッシングの脚としてカリブの海を走り回ったであろうそのフネは、現在はヘミングウェイ記念館となったフィンカ・ビヒアの庭先に展示されている。木製の、すくなくとも写真ではあまり上等に見えないクレードルに抱かれ、すでに水から離れて長い時間が過ぎてしまっている木造船は、おそらくハルのプランキングの間には隙間が生じ、フレームにも狂いがきていることだろうから、かつてのように、その姿態を島々の点在する美しいカリブの海に浮かべ、軽快なエキゾーストを響かせて水平線をめざすことはもうできないだろう。今、筆者の手元には、このフネが活躍していた当時の、貴重な数枚の写真がある。そして、このフネの断片的な事柄について記述された(決して多くはないが)文章もある。しかし、図面や仕様書は無い。何回か編集部の方で収集を試みたようだが、結局手に入らなかった。ただ、なければないで、推理ゲームとして割り切ることもできる。Pilarはどんなフネだったのだろうか? |
| Wheelerのハル・ナンバー576 ビルダーは米国ニューヨーク市ブルックリンのウィーラー(Wheeler)造船所。建造は1934年。実はもうひとつ1932年と記載された資料もあるのだが、その年、ヘミングウェイは別のフネを借りてキューバ北岸を釣行したという記録があり、そちらと混同されているのではないかと思える。彼は1933年から1934年かけて、ヨーロッパ〜アフリカを回った後、米国に戻っており、そのときアフリカ関係の記事を「エスクワイア」誌に発表。その原稿料を手付けにしてフネを発注したというのが真相らしい。また、編集部S氏のキューバ在住の知人によると「このフネはキューバの造船所で、キューバ産のマホガニーを使って作られているのだ」というのだが、これはたぶん勘違いである。1950年代の中ごろ、Pilarはキールの部材まで取り替える全面的なリビルトを受けているが、これがキューバで行われ、その際にキューバ産のマホガニーを使ったという記録があるから、それが間違って伝えられたのだろう。 “1934年、米国・ニューヨーク市・ブルックリン、ウィーラー造船所建造、ハル・ナンバー576”。これがPIlarのヘルムに取り付けられた青銅のプラークに刻まれているという、その生い立ちである。 ウィーラーのフネは1940年代後半の米国の有名スポーツフィッシャーマン・ビルダーのひとつとしても名が挙げられており、同時代の“有名どころ”としてはマテウス(Matthews)、ライボヴィッチ(Rybovich)、クリス・クラフト(Chris-Craft)などが並ぶ。 マテウスはその後もスポーツフィッシャーマンやコンバーチブル、モーターヨットなどを作り続けてきたが1976年に経済的な行き詰まりで造船所を閉鎖。ライボヴィッチは現在もセミ・カスタムの高級コンバーチブルなどを生産するが、生産数は少なく(最近は同じブランドの“分家”もあるが)、同じコンバーチブル・ビルダ−であるバイキングのディーラーを“兼業”している。この中では、唯一クリス・クラフトだけが現在も多彩なプロダクション艇をラインナップする“伝統”のビルダーなのだが、経済的な危機を乗り切るべく、ラインナップは徹底して縮小され、スポーツフィッッシング向けのコンバーチブル系モデルは整理の対象となってしまった。 時代が“名門”を変えた。そしてウィ−ラ−というビルダーも現代のプロダクションの世界では聞かれないものとなっている。 Pilarの船型を考える 記録によるとPilarは米国産のブラック・オークで作られたという。工法はキールを据え、フレームを立て、外板を張っていくストリップ・プランキングだったようだ。初期の写真では分からないが、後期のものになると船首尾線と平行に張られた外板の板目がはっきりとわかる写真がある。 |
| 全長は約38フィート。全幅については写真からの判断だが11〜12フィートというところで、当時のモデルとしては比較的中庸な値といえよう。バウは非常にシャープだが、ステムはほぼ直立しており、現代のセールボートのような雰囲気だ。これに対してトランサムはほとんど小判型のように見えるくらいの極端なダンブルホーム。ボトム形状が明確に分かる写真がないが、搭載されているエンジンも小さく、おそらくは最初から滑走や半滑走は前提としない。排水量型のハル、もしくはハードチャインでなくラウンドボトム船型だったのではないかと思われる。 エンジンは2基掛けのガソリン仕様。ユニバーサルの45馬力とクライスラーの90馬力。この2基のエンジンをどういう方法で搭載していたかについて、少なくとも手元の資料には何の記述もないが、明らかに馬力の違う2基をサイド・バイ・サイドで搭載し、そのまま2軸仕様とするというのは少々考えにくい。たしかにトランサムには2本のエキゾーストが左右対称で突き出しているのだが、手元にある幾つかの航走写真では、どの写真でも常にポート側のエキゾーストからのみ排気らしきものが出ていて、スターボードのそれは何も吐き出していない。 |
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| Pilarは300ガロンの燃料と150ガロンの清水を搭載できたという。また航続距離は最大で500マイル(約435海里)だった。速度は8ノットというから、これで500マイルを走ると54時間強。長距離を走る場合は100ガロンの予備燃料をドラム缶で搭載したらしく、これで燃料は400ガロンとなるが、この状態で、最大航続距離を得たとすると、燃料消費は1時間あたり7.4ガロン、つまり約28Pということになる。当時のエンジンで、しかも45馬力と90馬力の2基を回してこの程度の燃費ということは考えられないし、前述した片舷からのみの排気ということもあるから、Pilarがメインエンジン+サブという航続距離重視型の駆動系であった可能性は高い。しかしそれでも1日に350〜400ドル(当時のお金で)はかかったのだという。 優雅な時代のアコモデーション スターンにはフィッシングのためのコックピット、その前方はウインドシールドを備えたハードトップに守られたブリッジエリア、そしてフネのほぼ前半分がトランクキャビン・タイプの居住区というのがPilarのスーパーストラクチャ−(上部構造)の概略である。むろん、その建造当初からスポーツフィッシングに使われることが前提で作られたフネではあるのだが、現代のスポーツフィッシャーマンのように機能重視の戦闘的なニュアンスではなく、どこかにまだ“優雅さ重視”的な思想が感じられる造りである。しかしそれは決してPilarだけに見られるものではなく、この時代の似たような目的で造られたモデルすべてにいえることで、そういった中では、むしろこのフネは戦闘的な部類に含まれるべきものかもしれない。 ヘミングウェイはこのフネを建造するにあたり、自身のいくつかの要求を盛り込んだというが、その中にはフィッシングに関するものが数多くあったのだろう。建造直後に撮影されたというPilarの写真には、コックピットのスターボード側後端に簡単なクレーン(後期には取り外されている)が取り付けられており、トランサムの上端には、魚をコックピットに引きずり込みやすいようにローラーが付けられている。 前半分を占めるキャビンは、3つのコンパートメントに分かれている。最もコンパニオンウェイ側のコンパートメントは2つのダブルバースが置かれたステートルームで、クローゼットやキャビネットも備わる。バルクヘッドで仕切られた次のコンパートメントはギャレーとヘッドのためのスペース。そして最もバウ側、つまりフォクスルはやはりダブルバースが置かれ、ステートルームとしてしつらえられていた。おそらく、このフォクスルがオーナーズ・ステートで、ヘミングウェイ自身の部屋として造られていたのだろう。ここには酒専用の棚が2つ、設けられていたという。ちなみに、ヘミングウェイ自身はこの棚を「エチリック・デパートメント(おそらくAthylic Departmentと綴るはずで、AthylicがAthylalcoholであるのはいうまでもない)」と名付けていたという。 その後、Pilarは多くのスポーツフィッシャーマンがそうであるように、さまざまなフィッシング・エキップメントが装備され、より戦闘的なフネとなるべく、モディファイされていくのである。 |