IGFA会長
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マイケル・ラーナー氏は毛織物商だということだが、大西洋の、アメリカ大陸から50マイル離れた島に、海洋魚類研究所を持っていて、その島はイギリス領だということだが、そこには大きな養魚池が5つもあるという。その池の1つは檜山氏が見て来ているが、大磯町(神奈川県)の港より大きいだろうという。その池に釣ったカジキやマグロを放し飼いにして、研究員に研究させているのだと語っていた。日本の釣り師と生活スケールがまるで違っていて、船を持って行くといわれた時以来、いささかドギモをぬかれた感じのラーナー夫妻だが、人物はおだやかな、まさに大人の風格のある人だった。 |
| ふだん大物ばかり釣っているからだろうか、日本のタナゴ釣りにはひどく興味を持ったようで、話を聞き魚拓を眺めて喜んでいた。 夕方近くなって、わかれる前に、私が持って行った10本ほどの湘南角(大磯の今井源蔵《故人》作)を渡す時に、これは日本の牛の角と馬の爪で作ったもので、貴方の釣餌のサバ、ソウダガツオ、カツオなどを作る擬餌鉤だから、是非使ってみてほしいといって手渡した。 この時に私が撮影した写真が「つり人社」撮影のタナゴ竿などの写真と共に、「ようこそラーナーさん―インターナショナル・ゲーム・フィッシュ・アソシエーション会長の訪日―」という竹内始万氏の短文がついて、昭和29年(1954)5月号「つり人」に発表されている。 ラーナー夫妻と来日中に会ったのはこの時だけであったが、その後も長い間クリスマス・カードを毎年送ってもらったし、時にはゲーム・フィッシュについての質問をしたり、文通は続けていた。ラ−ナ−夫妻のクリスマス・カードがニューヨークから来たことは非常に少ない。ベニスからかと思うと南アフリカから来たり、世界中を夫妻で旅行していた。いつそれが跡絶えたのだろうか。いつIGFAの会長を辞められたのかも知らなかったし、いつとはなしにクリスマス・カードも送られて来なくなった。 |
| ここに紹介したラーナー氏と大イカの写真は、私が大物釣りの記録写真をいただきたい、という手紙を出したのに対して送られてきたものだが、その時の手紙は1962年5月20日付で、――これはペルーのカボ・ブランカ波止場で、夜相当な冒険をして釣ったものだ。最小で長さ6フィート、大きいのは9フィート、重さ100ポンドがある。しかし、これはまだまだ子供のようなもので、大洋には45フィート以上、その倍ぐらいの大イカがいると想像される。日本にそんな大イカの話があったら知らせてほしい。妻ともども貴方と日本の良き友人によろしく。 というようなことが書かれていた。その用箋には次のように印刷されていた。 |
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| ※この文章は1984年当時、私(須賀安紀)が編集・発行していた季刊誌「GAME FISH & BLUE WATER」に、『日本におけるIGFAの始まり』として連載して戴いた中の一文である。1939年6月7日、アメリカ自然史博物館で開かれた会議の中で正式に誕生したプレジャー・フィッシングの普及、振興を唯一の目的とするIGFAが、当時の日本にどのような形で入ってきたのかは興味深いものがある。永田一脩氏は1988年4月9日、84歳でお亡くなりになられたが、その前年、遺作となってしまわれた『江戸時代からの釣り(新日本出版社)』という大著を上梓されているので是非とも御一読願いたい。 |