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1963年、28歳でプロゴルファーからボートキャプテンに転向した彼は1965年、ハワイの伝説的名キャプテン、ヘンリー・チーの釣果記録を見事に打破し、チャーターボートのスターダムにのしあがった。 |
| すい星のごとく現れたCapt.バート・ミラー バートの資料を整理していると、一通の古い手紙が出てきた。 発信日は1973年1月11日、発信人は『FIELD & STREAM』の編集長フランク・モス(Frank T. Moss)。 まず、“Congratulations on your success!(ご成功おめでとう!)”に始まる文面には、“私は数多くの場所で大物釣りのスキッパー(船長)と一緒に釣りをしてきた。しかし、スポーツとして巨大なマーリンを釣ることにおいて、バート・ミラーほど卓越した男を見たことがない……”と。 前年(1972年)111尾のマーリンを釣って、またも記録更新したキャプテン、バート・ミラーに送った手紙だ。 振り返れば1965年のことだ。この年85匹のマーリンを釣って、ヘンリー・チーの年間70匹という最多獲記録を打破した男。その男こそ、すい星のごとく現れたキャプテン、バート・ミラーであった。 その翌年に100匹、そして1972年に111匹という記録更新を重ね、その名は世界のビルフィッシャー達に広まった。 |
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| 月給35ドルの名キャプテン ここで説明しておきたいが、釣ったマーリンの数はバートが1人で釣ったわけではない。そのほとんどは彼のボートに乗った釣客が釣ったものだ。しかしマーリンが遊泳している海域を探し、その日の海況に合わせてルアーやベイトを選び、そしてストライクしたときの巧みな操船――それらはすべてボートのキャプテンのカンと腕次第だ。だからそのボートで釣った実績はキャプテンの実績となる。マーリンをよく釣る、いや釣らせるボートほど人気が高まることになる。 キャプテン、バート・ミラーの「CHRISTEL」が繁盛したことはいうまでもない。しかし、このことをもっとも喜んだのはボートのオーナーだったかもしれない。月給35ドルの名前のみのキャプテン、バートにとって“自分のボートを持ちたい”という思いはまだまだ夢のまた夢であった。 見かけはかっこいいかも知れないが、チャーターボートだけをなりわいとするのは、今でも容易ではないらしい。いくらマーリンキャピタルでも、釣客がいつも殺到しているわけではない。クルーは陸の仕事を兼業するか、またはバートのように好きだからこそハングリーに耐えるしかないのだ。 |
| 遂に憤満を炸裂させた日本人実業家 さて、1973年といえば我が国でも海外旅行ブームの兆しはあったが、まだまだハワイ島コナでは日本人観光客を見かけることはめったになかった。 その頃、ある日本人実業家がコナに滞在し、トローリングに熱中していた。しかし連日ノーヒット、ノーフィッシュで実業家の欲求不満は募るばかり……。もともと向こう意気の強い性格だけにあきらめるものではない。そこで、地元の日系人フクミツ氏が見るに見かねてボートを乗りかえさせようと彼をバートに紹介した。 翌日、その実業家は笑顔も見せずにバートの「CHRISTEL」に乗り込んできた。豹を思わせるような精悍な眼も、連日の敗北で視線は重かった。 ところが、この日ついにヒットした。紺碧の海が炸裂して黒い巨魚が水面に躍りあがった瞬間、実業家の沈痛は昇華していた。渾身のファイティングに憤満をほとばしらせて、ついに650ポンドの見事なブルーマーリンを釣りあげたのだ。 |
| 毎日100ドルのチップと腕時計、TVのプレゼント やっと相好をくずした実業家は、まるで“三枚目”が演じるような海のヒーローに豹変した。 ボートを降りると、ピッカピカのカバンから、いともおおらかに分厚い札束を取り出し、バートとクルーにそれぞれ100ドルずつのチップとセイコーの腕時計を贈った。 そして2日目。実業家は400ポンドと300ポンドクラスのブルーマーリン2匹を釣って満悦至極。また100ドルずつのチップに加えて、その夜バートの家にソニーのテレビセットが届けられた。テレビがなかったバート一家には夢のような嬉しいプレゼントだったに違いない。 バートは当時のことを、まるできのうのことのように整然と語ってくれた。当然のことだろう。バートにとって生涯忘れ得ぬ日々のことなのだから。 「彼はそれから21日間休みなく私のボートに乗ったよ。その間釣ったマーリンは合計24匹。平均300ポンド程度だった。もちろん私とクルーへの100ドルのチップも休みなくさ。われわれは少し甘やかされたかもしれないね」と。 |
| 私には金があり過ぎるが、バートにはなさ過ぎる!? それから数日後のことである。 水平線から燃えあがる残照がヒルトンホテルのレストランを茜(あかね)色に染めていた。海辺の席に3人の男たちが金銀の波を散りばめる海に黒いシルエットをゆらめかせていた。 帰国を前に、バートを夕食に招いていた実業家は秘書の通訳でバートに話しかけた。 「バート、君は月給35ドルぐらいで使われていてはいけない。君自身がボートのオーナーになり、ボスになるべきだ」 軽く受け流していたバートにさらに 「私には金があり過ぎるが、バートには金がなさ過ぎる」 あまりに唐突で露骨過ぎる言い方に、バートはむっとして聞き返した。 「どうしてそんな冗談をいうのですか?」 実業家はいちだんと真剣なまなざしで体をテーブルに乗り出すと、 「ボートを買うのにどのくらいのお金がいるのか?」 「250,000ドルですよ」 かねてからバートの念願の金額だけに、すらすらと答えた。 「少し安過ぎないかね。そんな金で買えるのかい?」 バートは唖然とした。金額を聞いて実業家は必ず黙ってしまうだろうと予想していたからだ。 |
| 運命を変えるたった3分間の会話 しかしこの人はいったいどれほどの大金持ちなのだろうか? 誇大妄想におちいるほどのお酒を飲んでいるわけでもない。いや、私は夢を見ているのでは? すると実業家はバートのうろたえた眼を凝視して、 「君にボートをプレゼントするよ。金はいつでも出す。いつボートを買いに行くか?」 バートは鉄棒でガーン!と頭を殴られたようなショックを受けた。やがて背筋がゾクゾクして全身の血が逆流するような興奮を覚えた。 「一応、私のボスにこの話をして、ボートを買いに行く許可を取りたい」 バートはまるで魂が宙に浮いたような意識のなかで、やっと返事をすることができた。 1973年、昭和48年のことである。 当時ボートのチャーター料は1日200ドル、為替レートは1ドルが約300円を上下していた。ちなみに300円とすると250,000ドルは当時、7,500万円になる。 バートはその運命の日を振り返り、 「私に25万ドルのボートを買ってくれるという話は、たったの3分で決まった。そのとき私の銀行預金は1,000ドルもなかった。素晴らしい出会いだった!」 と語ってくれた。 |