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BIG BLUE
〜5〜 写真と文 須賀安紀 Written & Photographed by Aki Suga ビルフィッシュを巡る縁 |
| 世界が光に浴していたり、太陽が照りつけていれば、 ぼくは愛したり、抱きしめたくなる。 光にまぎれるように肉体にまぎれこみ、 肉体と太陽の湯浴みをしたくなるのだ。 by アルベール・カミュ |
| かつて東アフリカ、ケニアのコースト(海岸地方)でビーチコマーを気取っていた時代があった。 モンバサ、マリンディ、ラム島といった赤道直下のスワヒリ達の世界で日がな一日、チャイやタスカビールを片手に、朦朧とした時間を過ごしていたのである。 ラジオは無論、テレビも無い、訪れる人も殆どいない“海岸近くの掘っ立て小屋”といった風情のロッジで、一ヶ月も前に発行された『ネイション』や『スタンダード』紙から、トルコのクーデターや当時のケニア大統領、モイの訪中の記事ばかりを読んでいた。 私より先に訪れた旅人が置いていったのであろうそれらの新聞は、乾燥しきったバナナの葉より頼りなく、紙面はケバ立ち活字は風化し消失しかかっていたが、たどたどしい語学力で拾い上げる僅かばかりのニュースが、なにやら新鮮な感慨をもたらしてくれたことを記憶している。 隣国、タンザニアとのボーダー(陸路国境)は当時、政治的な理由から閉鎖されたままとなっており、充分な資金があればナイロビからダルエスサラームまで空路で向かい、外人専用の高級ホテルにステイすれば問題はなかったものの、文無しのビーチコマーにはそれもかなわず、うだうだと時間をやり過ごしながら、海路、スワヒリ達のダウ船に紛れ込み、タンザニアのザンジバル島まで行けないものかと画策していたのである。 スワヒリ語でバショウカジキのことをスリスリ(suli suli)と呼ぶ。 ナイロビで知り合った訳有りの女が実はザンジバルの女で、バーでビールを奢りながらあれこれと話すうちにねんごろとなり、私がカジキ釣りのことなど話すうちにタンザニアの5セントコインの話題となった。そのデザインがスリスリだということを教えてくれたのがその女であった。 タンザニアとのボーダーであるナマンガに私の兄がいるから一緒に行かないか、という成り行きになり、マタトゥー(乗り合いタクシー)を乗り継ぎながら二人してナマンガまで出かけることとなった。ボーダー近くの安宿の、火焔樹に囲まれた中庭で、ビールを飲みながらまたまた朦朧としている間に、どこかにいなくなったと思うと夕刻、たくさんの荷物を両手に女は安宿にもどってきた。そしてガーデンチェアに寝そべり本を読んでいた私の目の前で握りしめた片手を開いてみせると、その掌には例の5セントコインが山なりになって現れた。 それらのコインは、今も私の宝物ではあるが、その時の女の、手を開く時の一瞬恥じらうような表情と、漆黒の長い指で閉じられた拳を開いた時に現れたピンク色の手の平のコントラストが今も鮮明に甦る。それは遠くに眺められたキリマンジャロの頂よりも遙かに私の心を揺さぶったものである。 |
| ケニアのイミグレーション(入国管理)で、私の連絡場所にしていたナイロビのスワヒリ語学校と、モンバサを起点とするコーストを行きつ戻りつする日々の中である日、私はイミグレーションからの呼び出し状を受け取ることとなった。スワヒリ語学校に届いていたその英国風の仰々しい封書を開けると真っ先に“出頭要請”の文字が目に飛び込んできた。「ヴィザの期限はとっくに失効しているが、あなたの出国記録は見当たらない。なに故にあなたはオーバーステイしているのか!? 直ちにイミグレに出頭せよ!」というものであった。 コーストでの朦朧とした日々は、私の脳味噌までふやけたものとしていたのである。 |
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| 高地ナイロビは赤道直下にありながら朝夕には身も引き締まるほどの冷気を感じることがあるが、この夜もまさにそんな夜であった。 脳裏には強制送還などという最悪のシナリオも点滅する中で、いやいやここは冷静に…と、ジャカランダの並木道を歩きながらスワヒリ語学校近くのグロブナー・ホテルに向かいながら、私はまたあの女に会うことを考えていたが、その夜は独りでビールを飲むハメとなった。 翌朝、意を決して訪れたイミグレーションで私はオフィサーを相手に長々と弁明を繰り返していた。「あなたは御存知ですか? ケニアのコーストでは20にも及ぶビルフィッシュ・トーナメントが開催されているのですヨ! 観光立国を狙っている貴国の資源は象やライオンだけのサファリパークと思っていてはダメです。貴国には素晴らしい海があるんだから…」。自身の落ち度を棚に上げて、盗人猛々しいきらいがないでもなかったが、私は私なりに必死であった。そんな私にうんざりしたのか、オフィサーはおもむろに電話を取るとなにやら首席オフィサーに連絡をとった。「訳の分からない日本人が、ああだこうだと言っているのですが…」。 オフィサーは受話器を置くと、2階に行くようにと私に告げた。 |
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先程のオフィサーのいた事務室とはまるで造りの違う立派な執務室に陣取っていたのは大柄なキクユ系の女性事務官であった。クィーンズイングリッシュをネイティブのように扱い、「ところでミスター・スガ、モンバサではバハリ・クラブによく出入りしていたようですが、フィンケルスタインさんは御存知ですか?」。 バハリ・クラブとは当時モンバサにあったマリン・リゾートのクラブで、女性事務官が口にした男の名は、ケニアのビール会社の重役であった。「ええ勿論。バハリ・クラブでは彼のボートによく乗せてもらって何度か一緒にカジキ釣りをしましたよ。御存知かと思いますが“スリスリ”がよく釣れるんですヨ。尤も彼のボートではバラクーダばかりがヒットして、まだスリスリは釣れていないんですけどね」。 |
| 彼女は急に目を輝かせ「あらあ、そうなの。実は私もモンバサに行く時はよく彼のボートに乗せていただくのよ。私は彼のボートでセイルフィッシュをこれまで2度釣ったことがあるのヨ…!」。 得意満面で話す彼女の表情はもはや堅苦しいイミグレーション・オフィサーのそれではなかった。「そうよ、ケニアには素晴らしい海もあるのよ。ラム島は好き?」「大好きです。素晴らしい所です。いずれタンザニアのザンジバル島にも行ってみたいのですが…」。彼女は大きな身振りで答えた。「ザンジバルはラム島よりも面白いかもね。あそこではブルーもブラック・マーリンも狙えるって彼が言ってたワ…」。 そう言いながら彼女は私のパスポートを手に取ると6ヶ月延長のヴィザ・スタンプをその場で押してくれた。そして「タイト・ライン!」という言葉と共に、パスポートを手渡してくれた。 信じられないような一日であった…。 |
| (『パーフェクトボート』(ネコパブリッシング)掲載分より) |