BIG BLUE
〜7〜
写真と文 須賀安紀
Written & Photographed by Aki Suga

巨魚を釣る資格ある者

僕は、だれよりも日焼けした肌の味方だ。
青白い肌の連中は用心するがよい。

by モンテルラン


 かつてタヒチの海に、ゼーン・グレイがロッド&リールで史上初めて達成したグランダー(1,000ポンドオーバー)の面影を求めて釣行したことがある。

 1930年5月。サメに200ポンドばかりの上納金を納めてランディングされたグレイの1,040ポンドのパシフィック・ブルーは、バイラオ・ビーチに高く掲げられた。バイラオはタヒチのパペーテから僅か75km、ひょうたん型のタヒチの一番くびれた地峡であるタラバオの南東にある。
 彼のこの記録は、ビッグゲームを語る上で、忘れてはならないものである。
 そのグレイが、かつて語ったことがある。
 「私が釣りをするのはクラブのためじゃない。まして、記録のためでもない。私自身が楽しく、エキサイトできるから。そしてゲームがスリルに満ちあふれているから…。しかし今は、釣り上げて自分のものにするのではなく、出来れば魚を自由に放してやりたいと思うようになった…。」
 ゼーン・グレイほど世界のビッグゲーム・フィッシング・クラブの、組織創りに尽力してきた者はいない。また彼は、釣りに関するフェアプレイと、さまざまなテクニックについて多くの貢献をしてきた男でもある。海洋環境の保護についても自身の多くの著作で度々言及し、世界のアングリング・クラブを包括する組織を創設することにも情熱を注いだアングラーであった。
 カリフォルニア南西部沖のサンタ・カタリナ島のアバロンはビッグゲーム・フィッシングの聖地として知られている。1898年6月1日に、チャールズ・フレデリック・ホルダーがカタリナ島沖で釣った83kg(183ポンド)のブルーフィン・ツナは、ロッド&リールで釣られた最初の記録として知られている。そして、この記念すべき記録を達成したホルダーは、その僅か2週間後に「ツナ・クラブ」の設立を仲間に呼びかけ、同地に『カタリナ・ツナ・クラブ』が誕生した。設立当初から100年以上を経た今も、同クラブはスポーツフィッシングのモデル・クラブとしてその役割を果たし続けている。実際、同クラブの「アングリングルール」は1939年にマイケル・ラーナーやヘミングウェイがIGFAのルール原案を起草した、その遙か40年ほど前に、既に存在していたのである。クラブのメンバーにより、1903年にはロッド&リールで初めてのストライプト・マーリン(マカジキ)が、また、1913年には初めてのソードフィッシュ(メカジキ)が記録された。

スパルディング夫人と、彼女が釣ったとされる426ポンドのソードフィッシュ(メカジキ)

その日も暑い日だった。暑さと空腹と喉の乾きという三重苦の中で、私はグレイが史上初の記録を高く掲げたその地に立った。
 設立から100年以上を経た『カタリナ・ツナ・クラブ』を訪ねると、メインルームの片隅にはゼーン・グレイのファイティング・チェアがさり気なく置かれていたり、クラブ創設者のチャールズ・ホルダーやその他の名だたるアングラーが使用したギャフやロッド、リール、それにさまざまな剥製が飾られている。
 クラブに多大な貢献をしたゼーン・グレイは同時に、他の釣りとは一線を劃してソードフィッシング(メカジキ釣り)に打ち込んだ初期の釣り人の一人でもあった。ベイティング・テクニックやティージング・テクニック、そしてクローズ・ネストの考案など、さまざまな工夫と努力は実際、多大な効果があった。
 1920年、ゼーン・グレイはそのシーズン最大のソードフィッシュを釣った。418ポンドの記録は当時の世界記録に45ポンドほど満たないものではあったが、瞠目すべき記録であることに変わりはなかった。

 しかし翌年、それまで100ポンド以上の魚を釣ったことのない女性アングラー、キース・スパルディングが426ポンドのソードフィッシュを釣ったとされたことに、グレイは分別のない言葉を吐いてしまったのである。「そんな巨大なメカジキをスパルディング夫人一人でファイトをまっとうできるわけがない。彼女はきっとクルーの助けを受けたに違いない!」と。
 軽率なグレイの言葉に、ジェントルマン・シップを重視するクラブは詫び状を書くか、クラブの脱会を勧告したのである。彼はその両方を行い『ツナ・クラブ』を去ることとなった。このことはクラブにとっても、またグレイ自身にとっても大きな損失であり、双方にざらついた気まずさを残すこととなった。
 ドーピング疑惑に揺れたアテネオリンピックを例に出すまでもなく、告発するにはそれなりの証拠を提示する必要があるものの、何よりも選手各自にフェアプレイの精神を喚起させることの方が重要ではある。
 ルールにのっとって釣りをしたというアングラーの自己申請を基本とするスポーツアングリングの世界では、当事者であるアングラーの言葉がフェアプレイの全てを物語ることになる。結局、自身の心にいつまでも心地良く記憶される釣魚とのファイトは、フェアプレイの精神によって達成されたものでしかないという単純な結論に辿り着くわけである。
 しかし、時に対象魚が1,000ポンドを超すこともあるビッグゲームの世界においては、例え「IGFAルール」という僅かばかりの制約の中においても、ルールに抵触するシビアな局面は多くなる。ヘビータックルを使用し、パワフルで重量感のあるファースト・ランを凌ぎながらロッドをポストから抜き取り、ジンバル・ソケットにロッド・エッジを移すまでの一連の動きにはやはりそれなりの体力とスキルが必要となる。チャーターボートの船上では一連の作業をデッキハンドが代行し、ファイティング・チェアに鷹揚に陣取った、お客様であるアングラーに「さあ、後は巻くだけですよ!」と“サービス”に努める光景も見られるが、IGFAルールにのっとったトーナメントでは、この時点でアングラーは既に失格していることになる。
 では、“巨魚を釣る資格ある者”とは単に体力とスキルが前提となるのであろうか? それは必要条件には違いないし、そのために体力とスキルを向上させることは、あらゆるスポーツにおいても求められることである。
 ただ、釣りやハンティングが他のスポーツと根本的に異なる点は、対象となるゲームの生命を翻弄するという紛れもない事実を内包することにある。私たちは得てして、群れる小魚の一尾の死にはさしたる感情も抱かないものだが、ラインを通して直に体感する巨魚のファイトには多くの啓示を受けることがある。
 あのグレイもそうであったように、私たちの精神というものは、さまざまな局面を経て熟成へと向かうものである。船上での溜め息や歓喜、それに懺悔を幾度となく経験する中で、釣魚に対するフェアプレイの精神も自ずと培われてくるのかもしれない。

(『パーフェクトボート』(ネコパブリッシング)掲載分より)


SPORT ANGLERSトップページへ

4. ビルフィッシング・リゾート―エッセー&トーナメントヒストリー
 南の記憶
 タヒチアン・インターナショナル・ビルフィッシュ・トーナメント
 タヒチ 輝ける島、輝ける記憶―サウス・シーズの光と影
 栄光のビルフィッシュトーナメント―HIBT40年の伝説
 モーリシャスの海
 萩の黒鮪
 愛しのカボ・サン・ルーカス
 メキシコ・ユカタン半島クザンのライトタックル・アドベンチャー
 呻く人、ニヒルの人、笑う人。
 ザンジバル―スワヒリ達の海に遊ぶ。
 ゼーン・グレイの足跡を追って
 X'mas in Summer
 BIG BLUE(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)(12)(13)(14)(15)(16)(17)(18)(19)

第1章第2章第3章第5章第6章第7章第8章第9章第10章