BIG BLUE
〜12〜
写真と文 須賀安紀
Written & Photographed by Aki Suga

与那国の海にカジキを追う!

IGFAルールによる与那国初の記録
 昨日、与那国から帰ってきた。
 先の号でも書いた今月創刊予定のスポーツフィッシング誌『Sport Angler』の取材でまる3日間、カジキを狙って海流の中で悶々としていた訳である…。
 結果は「メキシコ湾流に小舟を浮かべ、ひとりで魚をとって日をおくっていたが、1匹も釣れない日が84日もつづいた」という例の『老人』の、3日目の心境を実感することで終わった釣行ではあったが、あれやこれやと学ぶべきことは多かった。
 『老人』が巨魚を求めた大西洋の『メキシコ湾流』をアメリカの海洋学者・モーリーは「大洋の中に河あり…」と表現したが、北太平洋の我らが『黒潮』は、そのスケールをはるかに上回るものである。その巨大な海流の根源域はフィリピンの東方沖あたりとされているが、その流れの源を養うものの主体は北赤道海流である。ルソン島の東沖から流れは強さを増して北に転じ、台湾と西表島の間から東シナ海に入り、尖閣列島辺りの大陸棚にぶつかって北東に向きを変え、沖縄本島の西をとおり、トカラ海峡を抜けて本州南岸を洗う。

 1994年の1月に『第11海上保安本部』は、与那国島の周辺海域が日本における黒潮の源流域であることと、与那国の南岸に衝突して島の東西に二分される黒潮の支流を確認し、その東側の支流は反転して南下していることを発表したが、このことは与那国島周辺におけるカジキの遊泳行動を想定する上でひとつの可能性を示唆してくれた。
 それは、これまでの「与那国周辺のカジキは、黒潮に乗って本州沿岸に北上する…」という私たちの確信にも似た想定に対し、「必ずしもそればかりではないのでは…」という思いを抱かせるものであった。
 実際、2003年の5月27、28日の両日に遠洋水研によって実施された2尾のクロカジキへのポップアップタグによる遊泳データをみると、データ採取期間はそれぞれ約1ケ月、3ケ月と短いものの、北上や南下を繰り返しながらも久米島から石垣島に至る海域に滞留していたことが示されている。
 今回の取材は、『スピニングタックルによるビッグゲームチャレンジ』ということで若き女性アングラー、横山まゆかさんのチャレンジを追うものであった。スピニングタックルを使用し、30ポンドラインで挑む際のラインシステムや、ルアーおよびライブベイトによる攻略法など、さまざまなテーマと期待をてんこ盛りにして挑んだ与那国の海であったが、メスの大型カジキは若き女性アングラーに大いなる闘争心と表裏一体の警戒心を抱いたのか、遠くで我々を一瞥するだけであった。

 カツオをライブベイトに、まずは手堅くそのファイトをアングラーに体感してもらおうという目論見も、ティーザーでカジキを寄せ、キャスティングするというスリリングなサイトフィッシングで、創刊号をど派手に、ビジュアルに飾ろうという甘い目論見もことごとく頓挫し、浅はかな企画に我が身を恥じるばかりである。我々の釣行前に入れ違いで与那国から戻ってきた博多在住Kさんの「3日間まるで駄目でした…」という自嘲気味な電話の声にも、釣行に夢膨らませる漠然とした自信で、心なしか上の空で対応していた自分が情けない。
 とは言ってもこれが釣り。学ぶべき事と反省すべき点は山ほどあるが実際、これが今後に活かされることを思えばむしろ期待と成功の前兆とでも捉えるべき与那国の海ではあった。
5度、6度とジャンプを繰り返した193kgのクロカジキ

 与那国のカツオ漁業は、1901(明治34)年、鹿児島県出身の寺前嘉次郎が奄美大島を経て与那国に辿り着き、クリ舟10隻ほどで曳縄カツオ漁をはじめたことが最初だとされている。それに遅れること数年の1905(明治38)年には糸満出身の玉城徳が白山丸という帆船でカツオの竿釣り漁業を始めたとされている。つまり八重山の曳縄釣り、竿釣りともに、与那国が発祥の地ということになる。1930年代には、与那国の久部良には製氷施設を備える近代的な鰹節工場も完成し、その生産量は東洋一とうたわれた。また1935(昭和10)年には仲島石戸能なる漁師が与那国で突棒によるカジキ漁を始めた。これも八重山における端緒であったとされている。
 黒潮の真っ只中に位置する与那国は、我が国における大型回遊魚の前哨基地として古くからその名を知られていたわけであるが、スポーツフィッシングとしてのカジキ釣りの大きなムーブメントが起こったのは今から20年前の1985(昭和60)年5月12,13の両日にわたりJGFAの8名のメンバーを中心に開催された『与那国ビルフィッシュ・トーナメント試釣会』を抜きにしては語れないだろう。当時、島の漁師たちはメンバーの持参したロッド&リールを見て、「とてもこんな代物ではカジキなんか釣れる訳が無い!」と、異口同音に語ったものである。
 13日、トーナメント最終日のストップフィッシング10分前。秋山勇さんのライブベイトに193kgのクロカジキがストライクした瞬間、島の漁師たちのスポーツアングラーを見る目は劇的に変化したものである。その後、2時間40分に及ぶファイトの中で昂揚した男の時間を満喫した私は、なにやら体中の血液が急激に若返ったような気分になった。当時、創刊したばかりの『ボート&ゲームフィッシュ』第2号目の取材ではあったが今も変わらぬ貧乏事務所でカメラは借り物で賄うという体たらくであった。使い慣れないカメラのフィルム交換をやっている最中にもカジキはすばらしいジャンプを繰り返し、私は秋山さんに「ちょっと待てよっ!』と理不尽な要求を口走ったことを覚えている。雑誌の創刊時にはあれやこれやの話題がつきものだが、万全の体制と資金を準備してかかれない事は今も同じである。結局、私は何も進歩していないのではあるまいか?それともこの分野でそれを実現するのは至難の業なのであろうか?
 『スポーツアングラー』の創刊は6月21日。本当の意味でのあれやこれやは、そこから始まる。

1985年5月13日、午後4時50分のストライク。この後、ファイトは2時間40分に及んだ。 遠くに与那国が見える。

(『パーフェクトボート』(ネコパブリッシング)掲載分より)


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