呻く人、ニヒルの人、笑う人。

誰がタヒチを愛したか?
Gauguin, Grey, Ellacott

文/三峰卓哉


タヒチの女。


ゴーギャンの墓と女たち。
 その時代、タヒチにいたゴーギャンの、爛漫な笑顔を目にした人はいなかったに違いない。
 彼の意識は失意と昂揚のうねりの中にあり、常に金策に明け暮れていた。その状況は今の私に酷似している。だから私には強く胸にくる。ただ私には楽天主義の器に盛られた漠とした自信と妙な確信があり、酒とバラの日々ならぬ金穴の日々を、どこかで楽しんでいる自分と、たまさか出くわすことがある。
 彼、ゴーギャンは当初、明らかに植民地人間として島に上陸し、南の島のアトリエで、“野性”を夢想する毛色の変わった画家にすぎなかった。名声と富を得る手段として南の島のインスピレーションを求めたことは確かであるが、さまざまな思惑の相違が、彼自身を南の島に幽閉してしまうことになる。貧窮、病気、失意と絶望の中で、輝ける南の島の光に背を向けて、彼は呻き続けた。

 ゼーン・グレイにとってのタヒチは、格別意味のあるものではなかった。ただ、彼はタヒチを訪れる五十年程前の一八八八年、九十五フィートの優雅なスクーナーでパペーテに入港したロバート・ルイス・スティヴンスンとは、その恵まれた状況での“サウス・シーズ紀行”という一点において共通するものがある。
『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』で文名を高めた彼、スティヴンスンに米国の新聞社が一万ドルのチャーター料を支払って船を用意し“南海もの”の原稿を依頼してきたことから彼は南海に乗り出す決意を固めたわけであるが、『キャスコ号』でサンフランシスコを出帆した彼の船旅は一八九一年、サモアに居を構えるまで、ホノルルとオーストラリア間の太平洋諸島を巡る五千マイルにも及ぶものとなった。この旅はグレイの釣行と不思議と航路が重なるものである。
 グレイは南の海の野生(とてつもない巨魚)を求めて旅したが、その費用の殆どを自身の印税収入で調達した。一連の釣行をフィルムに収め、後年、さまざまな釣行記を発表するが、不思議と私の胸を打つものはない。そこには釣行にかけた情熱と単純なロマンは見え隠れするものの、金にその範囲を裏付けされただけの快挙には何の感動も覚えないという単純にして冷徹な原則を思い知らされるばかりである。そして、自身の手の内を大きく離れた印税収入というものは、その金を使う側の精神を妙にニヒルにさせる何かがあるナという気配を感じ取ることができる。

グレイと世界で初めて記録されたグランダー。


笑う人、アルバン・エラコット。
 ディープ・シー・フィッシング史上を飾るグレイの輝かしい記録の数々ではあるが、釣魚と共に映るグレイの顔は何故かどれもがニヒルである。それは豊饒な海で巨魚を釣ることへの畏敬の念にも似た感情がそうさせるのか、はたまた、大魚を釣り競うということの無意味さを知り尽くした上でのものなのか、私には分からない。
 彼が笑っている写真(それも照れくさそうに)で、私が知っているものは妻のドリーと共に映っている写真のみである。尤も、財産管理にたけた彼女のおかげで、当時、前代未聞のスケールといわれたグレイの釣行が可能になったことを思うと、妻の隣で照れくさそうな彼の笑顔も分からなくもない。
 ゴーギャンもグレイも、南の島にとっては気紛れな風であった。ただ、その風を心地良く感じながらタヒチに住まう幸せな男たちもいる。何番目かの妻である島の娘と暮らすエピキュリアン、アルバン・エラコットの人生を、私は少しばかり羨ましく思う。彼こそ笑う人である。


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