彷徨える夏

バショウカジキの
5セント硬貨

Text & Photo / Yasunori Suga


 その夏、私はケニアのコーストにいた。

 不思議なもので、『Nation』や『Standard』から、たどたどしい語学力で拾い上げる僅かばかりのニュースが、ときには妙に新鮮な感慨をもたらしてくれた。
 全てが、必要以上の感性の揺るぎであることは分かっていた。それは、なんの分別もない、無邪気で他愛のないものである。そこにはテレビも、むろんラジオもない。訪れる人もない海岸近くのロッジで、その1か月余り、トルコのクーデターと、モイ(当時のケニア大統領)の訪中の記事ばかり読んでいた。1か月も前に発行された新聞は、乾燥しきったバナナの葉より頼りなく、誌面は毳立ち、活字は風化し、消失しかかっていた。かれこれ二週間も町に出ず、日がな1日、海で泳ぐわけでもなく、海を眺めるわけでもなく、私は実に曖昧な時を過ごしていた。
 海はインド洋である。
 ロッジから10キロほど北はソマリアとの国境であり、2キロほど海岸沿いを歩けば、3人の軍人が駐屯している粗末な軍令所があるきりである。その軍令所と目と鼻の先の距離に、60歳前後のスワヒリが1人で住んでいた。私が寝泊まりしていた掘っ建て小屋を少し大きく、ただドアには見事な彫刻を施した小屋に彼は住んでいた。私は彼に1日2シリングを払い、彼の持ち家であるという、その掘っ建て小屋を借りていたのである。
 町らしい町といえば、近くにラムがあるが、ここからは150キロ近く離れていた。マリンディは、そこからさらに南に200キロ、モンバサはさらにその南にある。

 1か月ほど前まで、私はナイロビで朦朧とした日々を過ごしていた。娼婦のたむろするグロブナーホテルで、私は1人の女と知り合い、あれこれ話すうちに、すっかり体に馴染んだはずの、高地の凜とした空気が、なにやら急に自分には似つかわしくないものに思えたのである。
 ザンジバル−インド洋に浮かぶイスラムの島−で生まれたその女は、私の想像力を大きく逸脱した野性の感性を持っていた。
 「Suli Suli」、スワヒリ語でバショウカジキのことを、“スリスリ”と呼ぶ。私が着ていた赤いポロシャツの、胸の刺繍を長い指でさしながら、女が教えてくれた。
 私がコーストに行こうと決めたのが先なのか、女がザンジバルに帰ろうと決めたのが先なのか、今となっては判然としない。

 私たちはナイロビからモンバサまでの道中を共にすることにし、コーストへの出発までの3日間を、ドアのへしゃげたプジョーやワーゲンのマタトゥ(乗合バス)を乗り継いで気ままな旅をした。
 タンザニアとの国境の村であるナマンガで、インド人の経営する安宿に泊まり、遠くの淡いパール色に輝く雲の上にキリマンジャロの白い頂を見ながらチャイをすすった。当時、ケニアとタンザニアは、政治的にこじれた状況にあり、タンザニアに入国するには、非常にめんどうな手続きが必要だった。数か所あったタンザニアとの出入国地の1つであったナマンガは、最も一般的なルートであったにもかかわらず、鄙びた、埃っぽい未舗装の道路が続くばかりで、ボーダーを示すための丸太が道路を遮断することで、僅かばかりの緊張感が漂っていた。

 キクユ、ルオ、カンバ、マサイ……、さまざまな部族の体型と体臭を目の当たりにしてきたが、アラブとソマリーの血を引く女の顔立ちと体型は際立っていた。鄙びた国境の町では、さらにその想いが強くなった。
 −ザンジバルで弟にあったら、その後はダルエスサラームに行くかもしれない。でもまた、がんじがらめになって、気に入った町を流れ歩くことになるかもしれない−チャイを飲みながら女はそんなことを話したが、私は曖昧に頷くしかなかった。
 薄紫色のジャカランダの季節は終わり、赤みの強いオレンジ色のフレームツリー(南洋桜)が満開だった。その色は、コーストに向かう私たちの心をかきたてるものだった。
 午後、私はフレームツリーの木蔭でタスカビールを飲みながら、赤道直下の高地独特の鋭い陽射しを感じつつ、心地良いまどろみに身を任せていた。黄昏どき。ふと気がつくと、私の体にはオレンジ色の毛布がかけられ、私は昼間と夜の温度差が著しい高地で、すっかり冷たくなった外気から隔絶された、柔らかいぬくもりの中にいた。
 「Jambo! Habari za asubuhi(お早よう)」
 目覚めた私に、女が声をかけた。咄嗟に気の利いた言葉を返そうと思ったが、私のふやけた脳味噌は、まだ眠りの甘い糸を引いていた。インド製の、安作りのガーデンチェアに寝そべったままの私に、女はビーズをあしらった小さな財布を手渡した。私がいぶかると、女はかたちのいい顎をしゃくり「中を見て」という素振りをした。編み紐を解き、中を覗くと、数枚の同じ銅貨が入っていた。一瞬、私は女の好意を読みあぐねてしまった。
 「Suli Suli!」微笑みながら、女が言った。

 硬貨を取り出してよく見ると、裏にはバショウカジキの絵柄が刻まれていた。私が夢うつつの合間に、女は国境近くの雑貨屋で、それを捜してきてくれたのだ。

 翌朝、私たちはナイロビに戻り、午後、中央駅からモンバサ行きの列車に乗った。列車が走るにつれて、空気は重く、柔らかくなり、やがて暑く、湿っぽくなった。
 同じケニアでありながら、内陸部の高地ナイロビと、コーストのモンバサでは、全てが異質の光を放っていた。モンバサの海にはアラブの帆船、ダウが浮かび、イスラムの活気に満ちていた。
 インド洋を見おろす高級シーフードレストランで、私はナイロビでの2週間分の食費をディナーに当てた。ひと月分でもよかったが、2週間分の予算で私たちは充分に満たされた。

 モンバサのオールドタウンに住む、知り合いのスワヒリに、ザンジバルまでのダウを調達してもらうつもりだ、と女は話した。合法的なものではなさそうな口ぶりではあったが、彼女には、ケニアやタンザニアの思惑や法律などは、実に無意味なものであった。
 フォート・ジーザス−かれこれ5世紀も前にモンバサを占領したポルトガル人たちが築いた砦−の近くにあるオールドタウンの入り口で、翌朝、私たちは別れた。遠くのモスクから、コーランの祈りが、古い港の、既に熱い、赤錆びた空気を震わせ、女はカスバのようなひんやりとした路地裏に見えなくなった。

 そう、あの日からもう1か月が経っていた。
 私の体と脳味噌は海鼠のようになり、日がな1日、実に曖昧な時をやり過ごしていた。すっかり黄ばんでしまったインド更紗の、シャツの胸ポケットに入れたバショウカジキの5セント硬貨を何度も取り出しては眺め、女との想い出を反芻していた。
 かけがえのない人生の大魚が、ゆっくりとインド洋の深淵に消えていくのを、茫然と見ていたような気がする。

 私は、海に出ようと思った。


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