ケアンズの
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| ジョ−ジ・ブランズフォード 野心溢れるアメリカ人青年が ケアンズに夢を追いかけた ![]()
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| 彼はこう考えた。 「小さなマ−リンが20キロもあるマッカレルを持っていくはずはない。もしかすると、マ−リンはこのあたりで産卵するのではないか」と。ブランズフォードは、ケアンズとグレートバリアリーフが非常に接近していることを上空から見て知っていた。1年のある時期、巨大なマ−リンがグレートバリアリーフ一帯をうろつく。そんな考えが彼の頭に浮かんだのである。 東に向いた港に佇み、その小柄なアメリカ人は静かに誓いを立てた。もしもこの戦争に生き残ることができたら、ケアンズに戻り、自分の考えが正しいかどうかを試して見よう、と。 そして時は過ぎ、1960年。小柄なアメリカ人は若かりし頃の夢を叶えるために再びオーストラリアを訪れた。数カ所を調査した結果、やはりケアンズがベストであることが分かった。グレートバリアリーフのアウターリーフに最も近く、しかも町は発展しつつあった。今から34年前、ケアンズはすでに国際的な観光地としての資質を発揮し始めていたのである。 しかし、ブランズフォードにとっての問題は、追い求める巨大マ−リンがいったいどのくらい遠くにいるのかを知ることだった。そこで、当時すでに行なわれていた引き縄漁の航路を調べ、漁師たちがマ−リンを見たという海域がスポーツフィッシングボートで行ける距離なのかを調べ上げたのである。 それらの海域が100マイル彼方でなかったのは幸いであったが、それにしても実際に魚を釣るために取らなければならない方法はたったひとつであった。彼はただちにフロリダに戻ると、家とボートを売り払い、妻と2人の子供を連れて、後年、オーストラリアの貴重な財産となるビッグマ−リンを追うためにケアンズへやってきた。 |
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