Saltwater Game Fishing
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| 暗中模索時代のこと 昔の話をすると笑われそうだが、笑うことは健康のためにもいいそうだから、なにかのためになるかも知れない。そうでも思わないと筆がとれない。編集氏がそれでいいから書けというので、古いゲーム・フィッシュの雑誌や本を引っぱり出して書く訳で、その点ご了承をこう。 まず、IGFAのルールについての苦労話から始めよう。 私が読んだ『Organization and Rules』は、1950年のもので、あとで1961年のものも入手した。相棒の関口一郎君がそれを翻訳させたが、“2 feet of leader or trace”という“トレース”が分からなかった。 当時『Fisherman』という雑誌があって、その年鑑に『Fisherman's Handbook1955』というのがあり、これに各種の釣り具から釣り餌までの解説が出ているので大変役に立ったが、トレースの説明は充分に理解できなかった。 |
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| ツナの回遊研究が始まるまで 終戦直後には、外国に釣りに行くことなどは、私達の生活状態ではとうてい考えることさえできなかった。それで、マ−リンやツナの大平洋沿岸の回遊路を調べたりしていた。 宇田道隆著『海洋漁場学(恒星社厚生閣版、昭和35年発行)』には、第14章に“マグロ漁業と漁場”があり、その殆どが大平洋赤道水域とかインド洋マグロ漁場とかで、沿岸のことは殆ど書かれていない。わずかに“春季(3、4月)、ビンナガは日本沖合では27°〜37°Nの黒潮反流域に現われ、大東島の方から紀南礁、鳥島、青ケ島の方へ北東方面に回遊移動する。これは索餌回遊である”“クロマグロ(Thunnus orientalis)の漁場は、日本列島沿岸を春夏に沿岸前線の冷水域側を北上回遊する”とあった。 これらの魚は、年々平均魚体が小型になったり増大したりすることが記されているが、九州や青森沿岸でとれることも記されており、関東沿岸のことは全く記録されていない。
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| 九州沖や青森沖では持って行く船もないし、出かけるにしても船頭も知らないので手におえない。それで南海区水産試験所に理由を書いて教えをこうたりした。その返事にいただいた手紙や葉書も保存してはいるが、一番いいのは神津島、三宅島と八丈島の中間で、シーズンは西風の強い真冬であること。時には駿河湾にも入り込むことなどが分かった。 その後、妻良から漁船で沖に出た時に、たった一度だけカジキの大群にぶつかったことがあった。しかし漁師が多くて、あちこちでカジキをかけているのを茫然と眺めるのみだった。波勝崎沖でのことである。 |
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| ここでは、今世紀の転換期までは、ブルーフィンは商業的にも他の目的においても、殆ど人々の興味を引きおこさなかった。しかし、スポーツ・アングラ−達の回遊魚に対する興味が高まるにつれて出くわしたのがブルーフィンだったのである。 その努力は悲壮だった。「Gamefish & Bluewater」誌1984(編集・発行/須賀安紀)によると使用したボートは手こぎの平底の軽船で、使用したリールは当時としては贅沢品だった。それらはドラグ機構のないリールで、ラインが出る時はハンドルがプロペラのようにクルクルと逆転し、スプールにブレーキをかける時には親指でブレーキをかけなければならなかった。 1896年にW・グリーア・キャンベル(W.Greer Campbell)がカリフォルニア州のアヴァロン(Avalon)沖で、ロッド&リールで釣り史上記念すべきツナを釣った(※編集部注:チャールズ・F・ホルダーの『An Isle of Summer(1901年)』にはコーネルC.P.モアハウスが1896年、ロッド&リールで最初のツナを釣ったとある。正確な日時は今となっては分からないが、両者共にスポーツ・フィッシング史上記念すべきツナを同年に釣ったことは確かである)。 |
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| 1898年にチャールズ・F・ホルダー(Charles F.Holder)が同じアヴァロン沖で183ポンドの大物を釣り、結果、「カタリナ・ツナ・クラブ(Catalina Tuna Club)」を創立した。そして大物釣りの装備の進歩に多大な貢献をした。 その頃のブルーフィン・ツナの幾つもの捕獲は、すべてカリフォルニア沖で仕留められたものであった。そして、これが「アヴァロンにおける華やかな90年代(19世紀の最後の10年間)」だった。 1908年に海軍士官のJ・K・L・ロスCommander J.K.L.Ross, R.C.N.(Royal Canadian Navy)が、ノヴァ・スコシアのプレトン岬でブルーフィンに挑んだ。彼は22尾の大魚を鉤に掛けたものの、ことごとくバラしてしまった。楽天的な性格さと同時に著しい執拗さを併せ持っていた彼は、3年後に再びブルーフィンに挑んだ。最初の魚とは19時間ファイトしたものの、ついにはラインを切られてしまった。それからさらに19尾のブルーフィンを鉤に掛けたもののランディングには至らなかった。そしてやっと21番目に掛かったブルーフィンをランディングすることに成功した。680ポンドの獲物であった(トップページ写真参照)。 その後、同じく海軍士官のダンカン・マッキンタイア・ホジスンがセント・アン湾で977ポンドというブルーフィンの記録を達成した(※現在の世界記録は1979年にノヴァ・スコシアでKen Fraserによって達成された1496ポンド)。 |
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| ※この原稿は「BOAT & GAMEFISH」第5号1986年1月発行に掲載されたものである。永田一脩氏は1988年4月9日、84歳でお亡くなりになられたが、その前年、遺作となってしまわれた『江戸時代からの釣り(新日本出版社)』という大著を上梓されているので是非とも御一読願いたい。 |