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フィッシング・ルール(Fishing Rule) フィッシングのルールは、タックルの進歩に従って絶えず更新しなければならない。 1906年には、ラインが1スレッド当たり3ポンド(1.36kg)テストに改良された。そこでツナ・クラブは、タックル・クラスをヘビー・タックルとライト・タックルの2つに分けた。 ヘビー・タックルは、ロッドの全長2.06m(6フィート9インチ)以上、チップ部分の長さ1.53m(5フィート)以上で、重量は16オンス(454g)以下、ラインが24スレッドで、ドライ・テスト66ポンド(29.9kg)以下とされた。リネン・ラインは、水を含むと10%から15%の強度が増加するので、現在の80ポンド・クラスに相当する。 |
| ライト・タックルは、ロッドの全長1.83m(6フィート)以上、チップ部分の長さ1.53m(5フィート)以上で、重量は6オンス(170g)以下、ラインは9スレッドで、ドライ・テスト26ポンド(11.8kg)以下とされた。これは、現在の30ポンド・クラスに相当する。 1908年には、ツナ・クラブのメンバーであるトーマス・マクドナルド・ポッター氏(Thomas McDonald Potter)が、スリー・シックス・タックル(Three-Six Tackle)を発表した。これを受けて、ツナ・クラブは新しくスリー・シックス・タックル・クラスをルールに追加した。 スリー・シックス・タックル(3−6)とは、ロッドの全長6フィート(1.83m)以上、バット部の長さ12インチ(30cm)以下、ロッドの全重量6オンス(170g)以下、そして、6スレッド・ラインのことである。つまり、6オンス・ロッド、6フィート・ロッド、6スレッド・ラインのことから、一般に“3−6タックル”と呼ばれたのである。これは、現在の20ポンド・クラスである。タックルの進歩は、ルールをより厳格なものにした。 |
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名士達(Men of Note) ツナ・クラブは、19世紀末に組織された英国の『ブリティッシュ・シー・アングラーズ・ソサエティー(British Sea Angler's Society)』と親交を深めていた。 ドクター・ホルダーは、ソサエティーの特別ゲストとして、ロンドンのミーティングに出席している。1908年には、ソサエティーの指導者、フレデリック・アフラロ氏(Frederick Aflalo)がカタリナ島に互恵訪問し、釣りを楽しんでいる。 クラブ・メンバーのウイリアム・C・ボスシェン氏(William C. Boschen)は、断続クラッチと逆転しない新しいリールを発明した。1913年にボスシェン氏は、その新しいリールを用い、カイト・フィッシングによって136kg(358ポンド)のメカジキ(SWORDFISH)を釣ることに成功した。 この時のキャプテンは、ジョージ・C・ファーンスワース氏(Capt. George C. Farnsworth)であった。ファーンスワース氏は、ボートのウェーク(引き波、航跡:Wake)や騒音からベイトを避けるため、1912年の夏にカイト・フィッシング(Kite-Fishing)を始めた。カイトが用いられる以前には、ツナ・スレッド(Tuna sled)と呼ばれるソリを使って、ベイトをボートの側方に離す工夫がなされていた。 ツナ・クラブは、リリース(Release)する際に魚を傷つけないためバーブレス・フック(Barb-less hook)を用いる最初のクラブとなった。 1913年には、パーディー州知事(Pardee)が、サンタ・カタリナ島の沿岸3マイル(約5km)以内の海を「魚類の産卵地域」に指定し、網漁船の操業を排除した。これは、ゲーム・フィッシュの保護を目的に活動したツナ・クラブの注目すべき成果であった。 ドクター・ホルダーは、それから2年後の1915年に、偉大な業績を残して世を去った。 |
| クラブのメンバーで著名な人物には、グローバー・クリーヴランド(Grover Cleveland:アメリカ合衆国第22代および第24代大統領)、セオドアー・ルーズヴェルト(Theodore Roosevelt:アメリカ合衆国第26代大統領)、ギフォード・ピンコット(Gifford Pinchot:ペンシルバニア州知事1923〜27、1931〜35、エール大教授、著書に『To the South Seas 1930』、『Just fishing Talk 1936』)、ウィンストン・チャーチル(Winston Charchill)、ハーバート・フーヴァー(Herbert Hoover:アメリカ合衆国第31代大統領)、ジョージ・S・パットン将軍(General George S. Patton, jr.,)などがいた。 作家として有名な釣り人、ゼーン・グレー氏(Zane Grey)は、ツナ・クラブの副会長を務めたことがある。また、『フィールド・アンド・ストリーム』誌の編集に長く従事した釣り人、ヴァン・キャンペン・ハイルナー氏(Van Campen Heilner)も、ツナ・クラブのメンバーであった。 次の1920年代は、ビッグ・ゲーム・フィッシングの黄金時代と言われ、ゼーングレー、ヴァン・キャンペン・ハイルナー、アーネスト・ヘミングウェイ、マイケル・ラーナー(Michael Lerner)などが活躍するのである。 |
● 桑田正彦 Masahiko Kuwata ※この原稿は1984年「Gamefish & Bluewater」(編集・発行/須賀安紀)に掲載されたものである。 |