THE PICTORIAL AT DAWN現代に続くスポーツフィッシャーマンの原点と変遷 |
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文/中島新吾(なかじましんご)
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| 1930〜1940年代、多くのボートアングラーたちはさまざまな試行を繰り返しながら、現代につながるスポーツフィッシャーマンという艇種をつくりあげた。フネの造作そのものはもちろん、アウトリガーやファイティングチェアといった艤装品にいたるまで、その多くはこの時代に生み出されたものである。ここでは、その時代のフネを再考察してみることにしよう。 |
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スポーツフィッシャーマン以外 1930年代、すでに小型のランナバウトなどの艇種は米国内で量産されていたし、中小の造船所で造られたものや自作艇もかなりあったようである。いわゆる“モーターボート”に乗って遊ぶということが、すでに流行していた時代だったから、その種のフネでスポーツフィッシングを始めたアングラーもいたようだ。結果、これらのフネではもの足らないとするボートアングラー(のうち、いくらかでもお金のある人)は、次に購入するフネをよりフィッシングに振った内容のものにしようと考え、それだけの資力を持たない人々は改造を考えるようになる。 チャーターボートの類は既にあった。これはロッドとリールを使ってビッグゲームを楽しむというスタイルが広く行なわれるようになってから、比較的早く生まれた商売である。しかし、当初それらのフネは、その海域で使われていた職漁船の延長にあったものがほとんどで、ごく一部の研究熱心な船長達が、現代に通じるようなアコモデーションを備えたフネを造り始めたという状況であった。しかし、それらがかなり重要な役割を果たしたことは確かである。フィッシング・メソッドの多くも、そしてフネに取り付けられる艤装品のいくつかも、彼らの手によって生み出されている。 ランナバウトでフィッシングを覚え、ただのボーターからボートアングラーとなった人たち、あるいは逆にただのアングラーからボートアングラーになった人たちは少なくなかったはずである。そういった人たちにとって、チャーターボートのアコモデーションや新しいフィッシング・メソッドは非常に魅力的に映ったはずだ。そして彼らの声は確実にビルダーに反映されていったようだ。プロダクション艇を生産していたビルダーのラインナップに、スポーツフィッシングを前提としたモデルが加わるのも、この時期だ。 スポーツフィッシングの底辺拡大に、ランナバウトをはじめとした手軽な小型ボートが果たした役割は大きい。安くて手軽なボートがまず大量に供給されていたこと、これがボートでのスポーツフィッシングを盛んにした要因のひとつであることは間違いない。 |
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| 排水量型のハルが主流 当時は、まだ小型ボートのハルや、そのパワーユニットも発展途上であった。なにしろ、それらは現代にいたっても改良の余地がいくらでもあり、多くのビルダーが毎年新しい形状のハルを発表しているくらいなのだ。当時は推して知るべしである。 1930年代には、まだ本格的なクルーザー用の滑走型ハルは存在していなかった。もちろん、小型のフネに適したものはあったが、ことクルーザーとなると、まだラウンドボトムの排水量型が主流である。スターンはトランサムで断ち落とされた、いわゆる“トランサム・スターン”の形状が大多数を占めるようになったが、ボトム形状そのものは昔からあったものとそう変わっていなかった。この最も大きな理由は、軽量で小型のマリン・エンジンが登場しなかったことである。1940年代に入ると、200馬力級で軽量なガソリンユニットなども登場するからだいぶ事情が変わり、半滑走型のモデルなども登場するが、本格的なハードチャインのV型船型は、その後ということになる。このあたりは、第2次世界大戦で開発された小型高速艇用の船型が民間に普及するのを待つことになるようだ。 結局、当時のスポーツフィッシャーマンの多くは、ラウンドボトムにトランサムスターンの排水量型ハル、ステム(船首)は直立し、できるだけ吃水線長を長く採ったハル、というあたりに落ち着く。吃水線長を長くとるのは造波抵抗を減らすためで、これは排水量が同じならば、吃水線長が長ければ長いほどフネ自体の抵抗が少なくなるという論理に基づいたものである。 |
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船型はどれも似たようなものだったが、それでも魚のランディングのためスターンのフリーボード(乾舷。水面から甲板までの高さ)を低くし、オフショアでの航行能力を確保するためにバウのフリーボードを高くするというスタイルが定着しだした。ライズド・シアー(甲板が描く線を艇体の真横から見たとき、それが船首に向かって昇っていくスタイル)やブロークン・シアー(段差を設け、やはり船首の方が高くなるようにしたもの)などがこの種のフネの定番となったのもこの時期で、これは現代まで続いている。 |
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| スモールボート・ビッグゲーム オフショアでビッグゲームを狙うスポーツフィッシングが流行する一方で、小型で、取り回しの楽な小型艇でのそれも、やはりひとつの方向性を見いだしている。ドリー、あるいはスキフと呼ばれるようなフネを使ったフィッシングがそれだ。 そういったフネは、日本の小型漁船と同じような使われ方をしていたものである。せいぜい20フィートあるかないかというサイズのものに、ひとりで乗り込んだ漁師が、自らオールと釣りの仕掛けを操って、めざす魚を釣り上げる様子というのは、あのヘミングウェイの“老人と海”の世界そのものだが、それができたというのは、そういった小型艇でも出かけられる海域に、それなりの対象魚がいるという前提がなければならない。 資料によると、ターポンやセイルフィッシュをはじめ、ブルーフィン・ツナ(オーバー700ポンドクラス!)やソードフィッシュなどまでもこういった小型艇で釣られたという記録が残っている。これは当時の海がいかに豊かだったかを示す、ひとつの例ということができるだろう。“老人と海”という物語はフィクションだが、小型のフネがその全長に匹敵するような巨大な魚を横抱きにして港へ向かうというその中の1シーンについては、夢物語でもなんでもなく、運と体力とテクニックを兼ね備えたアングラーにとって、現実の延長線上にあるものだったようだ。 スポーツフィッシングに用いられたそれら小型艇の姿を伝える写真の中には、バウ側にチェアを備えたものがかなり見かけられる。ビッグゲーム相手だとフネを引きずり回されるというケースもしばしばあったようだから、アングラーとしては、ひたすらロッドをホールドし、フネ自体を浮子として、持久戦に持ち込むというスタイルにならざるをえなかったはずだ。バウ側のチェアはそれをふまえたアレンジである。当時はすでに小型の船外機などもあったから、フネの取り回し自体は容易だったとは思うが、船上のスペースには限りがあるし、フネの安定性もより大きなモデルに比べれば危ういものだから、かなりのテクニック(アングラーもスキッパーも)が要求されたことだろう。 |
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| エキップメントの確立 アウトリガーとファイティングチェアという、スポーツフィッシャーマンにとっての2大エキップメントの形状や装備方法が確立されたのも、この時期であった。 カイト・フィッシングのメソッドをもとに、長大な竹製のアウトリガーを開発し、さらにそれをスプレッダーと張線で補強したトラスビルト型のそれを作り出したトミー・ギフォード。自ら開発したドロップバック・テクニックのためにアウトリガーを用いたビル・ハッチ。この2人は、アングラーであるとともに、自らのフネを使い、多くのアングラーにビッグゲーマーの栄光を与えた、チャーターボートのキャプテンでもあった。しかし、それらをさらに発展させ、アルミのパイプとステンレスの張線を使い、素材までも含めた現代的アウトリガーの原型を作り出したのは、ジョン・ライボヴィッチというボートビルダーである。これは、チェアにもいえることで、ジンバル装備、取り外し式バックレストという、その原型を考えだしたハーラン・メイジャーはタックル関係の技術者であり、アングラーでもあるという人物だったが、それを現代の本格的チェアに発展させたのは、前述のジョン・ライボヴィッチやメリット、さらにはマーレイ・ブラザースという、やはりボート・ビルダーやメーカーであった。 素材が木や簡単な金具だけで間に合った時代はそろそろ終わる。たしかに、スプルース(エゾマツ材)と竹竿で構築された、おそらくはオーナーの手作りと思われる廉価版アウトリガーを備えたフネがあったり、ゴツイ木製のチェアがあったりもした。しかし本格的なエキップメントが、もはや個人レベルではなかなか開発しきれなくなり始めるのも、この頃からであった。素材の進歩、そしてその素材を加工するための技術の進歩が、個人の“工夫”ではカバーしきれない新しい可能性を見せ始めていたのである。 フネのエキップメントの画一化が始まったのは、おそらくこの時代からであろう。どれも道具としての完成度は高い。しかし、もはやそこには、トミー・ギフォードやビル・ハッチやハーラン・メイジャーの個性は存在していないのである。
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| 現代につながるモデルの登場 フィッシングのメソッドが確立され、そのためのエキップメントが揃うと、当然、スポーツフィッシングに用いられるフネ自体も、機能に即したものとなってくる。 |
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特に、オーバーナイトで遠征を行なう艇種については現在のコンバーチブルの原型ともいえるスタイルが一般的となった。コンバーチブルという名称自体は、1961年にあのハトラス・ヨットが初めて採用したものだが、1940年代には、すでにその機能的な側面がある程度かたまってきていた。 船尾にフィッシングに必要なオープンスペース、つまりコックピットを備える。ヘルムステーションはデッキハウス内部の他、そのコーチルーフ(屋根)上の見晴らしの良いところに設ける。デッキハウス内部はサロン的なエリアを兼ね、フォアデッキのトランクキャビン内にはバースやヘッド・コンパートメント、ギャレーといった装備を備え付ける。船尾コックピットのアクティビティを大切にしながらも、キャビン内では十分にくつろぐことができるという配慮がされたこの種のモデルは、遠くの海域への遠征をはかる、多くのボートアングラーに絶大な支持を受け、以降、ボートを使ったスポーツフィッシングにおける主力戦闘機となっていくのである。 |
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| スポーツフィッシングのゴールデンエイジといわれる1930〜1940年代。それはスポーツフィッシャーマンという艇種にとっても、華やかなデビューの時代であり、多くの人々がそのフネのあらゆる可能性を考えていた時代である。しかし1941〜1945年には、全世界を巻き込んだ第2次世界大戦があった。実質的なスポーツフィッシャーマンの開発は、ここで一旦止まったとみるべきであろう。だがそれ以前、つまり1930〜1940年代前半にかけて蓄えられたノウハウは、第2次世界大戦の終了で一度に花開くことになる。 新しいマリンエンジンの登場、新しい船型など、第2次世界大戦で開発された技術が、戦前に蓄えられたスポーツフィッシャーマンに関するノウハウと結びついて、やがては現代のモデルに直接つながる新しい系譜をつくり始めることになるのだ。 |