英国リールからアメリカン・リールへ――ケンタッキーとニューヨークの職人達

 1620年に英国の清教徒は、メイフラワー号でアメリカ北東部のニューイングランドに移住した。ニューイングランドは、それ以来アメリカ大陸発展の原動力となった。
 初期のアメリカの開拓者は、英国を離れる前に使っていたリールを持って移住した。移住した後は、英国から輸入したリールを使用した。それらの英国のウインチ(リール)は、アメリカでも十分に役立ったであろう。事実、英国のリールは、ほぼ1820年代までアメリカの釣り人を支配したといわれている。しかしその後、アメリカにリール・メーカーが生まれると、徐々に英国リールに取って代わるようになった。

 アメリカのリールには、ケンタッキー・リールとニューヨーク・リールの2つの流れがある。
 ケンタッキーのパリス(Paris)に住むジョージ・スナイダー(George Snyder 1771〜1841)は、時計作りと銀細工を職業とする釣り人であった。そして、バーボン・ウイスキーの原産地として知られるこの地の“バーボン・カウンティ・アングリング・クラブ”の会長でもあった。彼は1810年頃に、ブラックバス・フィッシングに用いるベイト・キャスティング・リールを真鍮で作った。時計を作る職業柄、ギアの知識が深いスナイダーは、精密でスムースに回転するリールの設計に多くの時間を費やした。リールは真鍮と銀で作られ、ギア比は3対1、または3&1/2対1で、ベアリングにガーネット(ざくろ石)を使用したものであった(図7)。
 ほぼ同じ時期に、ルイスビル(Louisville)のウォッチ・メーカーのジョン・ハードマン(John W. Hardman)は、ギア比が4対1の精巧なマルチプライング・リールを生産した。ギア比4倍の利点は、ハンドル1回転でより多くのラインを巻き取れるので、より速いリトリーブができることである。ジョン・ハードマンの作った精密なリールは、19世紀のアメリカ・リールの標準となった。

図7:1917年に出版されたドクター・ジェームズ・ヘンシャル(Dr. James Henshal)著「Book of the Black Bass」にあるジョージ・スナイダーのマルチプライング・リール


図8:19世紀半ばから製造されたニューヨークのJ. C. Conroy & Co. によるブラス・マルチプライング・リール
“ケンタッキー・リール”の初期のリール職人には、フランクフォート(Frankfort)の時計メーカーで宝石商のジョナサン・フレミング・ミーク(Jonathan Fleming Meek)、その弟のベンジャミン・フレミング・ミーク(Benjamin Fleming Meek)、ミーク兄弟の弟子のベンジャミン・ケーブ・ミラム(Benjamin Cave Millam)などがある。彼らはスナイダーのリールをベースに改良し、全て手作りの高品質ベイト・キャスティング・リールを多種作った。これらのリールは、アメリカの釣り人に非常な信頼を得たため、以後、ケンタッキーがリール工業の中心地として発展していった。
 一方、ニューヨークでは、1830年にトーマス・ジョン・コンロイ(Thomas John Conroy)がリールやロッドの製造販売を始めた(図8)。また、ジョン・ウォーリン(John Warrin)も真鍮とジャーマン・シルバー(German silver=洋銀=ニッケル・亜鉛・銅の合金)のバランス・ハンドル・リールを作り、ニューヨーク・リールの製造に貢献した一人である。早期のリールは真鍮で作られ、2対1のギア比、ローズウッド(Rosewood=したん)のノブ、ボール・バランス・ハンドル(Ball balance handle=球形のバランサー付きハンドル)が取り付けられていた。
 ケンタッキーのブラック・バス・リールは海の釣りには小さすぎるうえ、巻き上げる力が不足していた。そのためにジョン・コンロイのリールは当時の海釣りに人気があった。

ストライプト・バス・フィッシングから
ターポン・フィッシングへ

 海のリールは淡水のリールを基にして発達した。淡水のリールのギア比は、ラインのリトリーブが速くできるように高比率のギア比が設定されている。一方、大きい海の魚を対象とするリールは、ハンドルのテコの作用を大きくするため2対1から3&1/2対1までの低比率の方がよい(図9)。つまり、低比率のギア比は高比率のリールに比べるとリトリーブ速度は減じるが、巻き上げる力が強い。シングル・アクション・リールでは、大きな海の魚を釣り上げることは困難である。そこで、マルチプライング・リールの原理は、海の釣りに適するように急速に発達した。
 南北戦争(1861〜1865)の後、ストライプト・バス・フィッシング・クラブがカティーハンク(Cuttyhank)やスキブノケット(Squibnocket)に設立された当時、多くのリールは真鍮で作られ、ニッケルまたは銀のメッキ仕上げがなされていた。より大型のマルチプライヤーは、サーフ・キャスターにとって不可欠のリールとなった。

 ニューヨークの初期のリール・メーカーには、1847年にドイツから移住した、銀細工を職業とするフレデリック・ボムフォフ(Frederick “Fritz” Vomhof)と彼の二人の息子、ジュリアス・ボム・ホーフ(Julius Vom Hofe)とエドワード・ボム・ホーフ(Edward Vom Hofe)が有名である。ニューヨーク・リールは、これらの技術者の発明によって堅実な地盤が固められた。特に、ビッグ・ゲーム・フィッシング用の大型リールは、釣りの好きな彼らによって開発された。

図9:マルチプライヤー・リールの基本的な構造。ギア比2:1(ハンドル・ギア30歯:センター・ギア15歯)。

 ストライプト・バス・フィッシングは、ニューイングランドを中心にして大ブームを引き起こしたが、1800年代の終わりまでその人気は続かなかった。
 1885年にニューヨークのウィリアム・ウッド(William H. Wood)は、ロッドとリールを用いて、フロリダで重量42kg(93ポンド)のターポンを釣った。それまでターポンは、その重量と強烈なファイトから“手釣り”の魚とされていたが、次第にロッドとリールで釣られるようになった。それに伴って、ターポン用のロッドやリールが急速に開発された。
 1895年までメキシコ湾のターポン・フィッシングは、アメリカだけでなくヨーロッパの釣り人にも注目された。

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