AGES OF OUTRIGGERSアウトリガーの起源から発達の時代へ |
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文/中島新吾(なかじましんご) 新たなフィッシング・メソッドが開発されるたび、それに伴って新しい“道具”が発明されてきた。それはロッドやリールといったタックルはもちろん、フィッシングをするためのフネ自体やそれに取り付けられる艤装品といったものまで含んだ、あらゆるハードウェアの発達の歴史でもあった。現代のスポーツフィッシャーマンに欠かせないエキップメントのひとつとなった、「アウトリガー」というものに対するさまざまな試行錯誤。そしてやがては現代のそれにつながる設計思想が確立されるまでの歴史を今一度、検証してみよう。
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“確立”の時代 |
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トローリング時、より多くのルアーやベイトを流すため、あるいはそのアクションを助けるため、フネのウェーキの外にそれらを置くため、フネに対する警戒心の強いゲームを誘うときベイトとフネの距離をあけるため、さらにはベイトの食いを確実にするドロップバック・メソッドを使うため等々……。それを取り付ける理由はいくらでもある。そしてアウトリガーというハードウェアと、それを利用したこれらのフィッシング・メソッドというソフトウェアは、決して片方だけが先行してきたというわけではない。しかし、多くのハードウェアがそうであったように、やはり“必要は発明の母”でもあった。 |
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最初の“必要”は、ボートで引くベイトを自らのウェーキから離すことであった。英国のトラウトやサーモンを相手にする密漁者は、そのために水面を滑る“橇”を使い、早い潮流の中でベイトを遠く流し、釣果を得た。そして、この釣法はやがて米国のカタリナ島に渡ってかなりの間使われることになる。一時はフロリダのアングラーに受け入れられるのだが、やがて流行する“カイト”が主流になるにつれ、すたれてしまった。 カイトの時代 カイトを使ったフィッシングは、現代でも行われている。フネから凧を上げ、その凧にベイトやルアーを付けたラインを運ばせ、ヒットで凧とラインは分離、凧は凧で回収し、あとは普通にファイトをすればいいという釣法である。ダウンリガーの、あのウェイトに相当するのが凧で、それが水中でなく空中経由でベイトやルアーをフネから離れたところへ運ぶと考えればいい。ベイトやルアーはアウトリガーと同じく、ほとんどの場合はサーフェス(水面引き)ということになる。日本ではあまり馴染みがないが、いつか当ウェブ上でも紹介することがあるだろう。 |
| このカイトによるフィッシングの原型は、はるか昔からメラネシア(パプア・ニューギニアやフィジーなどを含む大西洋西部)で行われてきたもので、それがアメリカに渡ったという。1900年代には、米国でそれが使われたという記録がある。 しかし、このカイトがさらに改良され、フロリダに持ち込まれ、ビミニでブルー・マーリンを相手にする道具として大いに流行するのは1920年代も後半になってからであった。そして、そのパイオニアと目されているのが、トミー・ギフォード(Tommy Gifford)という人物である。彼は今でいうチャーター・ボートのキャプテンなのだが、それとともにさまざまなフィッシングエキップメントを開発改良した人物として、スポーツフィッシングの歴史に名を残している。今後、機会を改め、このウェブ上にも登場するであろう有名人だ。 そのギフォードはカイトを改良していくのだが、あるとき、別のメソッドを考えるヒントを見つけた。それこそが現代のアウトリガーの原型誕生につながるものである。 たしかに、それ以前にも似たようなものはあった。たとえば、職業漁師の中には、そのフネのオールをシートに縛り付け、オールクラッチから舷側へ突き出すことによって、現代のアウトリガーと同じような使い方をしているケースもあったというし、それと同じ方法で、オールの代わりに竹を使ったケースもあった。ギフォードのオリジナルも、最初は同じようなものだったが、彼の場合は、あくまでもリールとロッドを保持してトローリングを続けることを少しでも楽にしようと考えたからだったという。 |
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| ギフォードの時代 ギフォードは、最初にフロリダ産の竹に目を付けた。これは彼の活動の本拠がフロリダだったのだから当然のことであるが、これはうまくいかなかった。とにかく、真っすぐなものにしたかったので、伐りだした竹のいいところを選んで切っていくと、とんでもなく短くなってしまったのである。ところが、ここで彼は十分に乾燥し、真っすぐな25フィートから30フィートの竹竿を見つけることができた。それはマイアミのとある店先で売っていた、日本産の竹竿だった。 |
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で、普通なら、とりあえずこれをそのままフネの舷側に取り付けて終わってしまうところだが、ギフォードのギフォードたるところはここからである。前述したように、彼はカイトの改良で、その威力を十分に知っていたから、アウトリガーも長さを十分にとっておけば、同じようなフィッシング・メソッドに用いることができるとふんだのである。また、この数年前にビル・ハッチ(Bill Hatch)が完成した、ドロップ・バック・テクニックにも使えることは確実だった。そこで、その日本産の竹竿を、真鍮のスリーブで継ぎ、さらにその根元をフロリダスタイルのバットに差し込んで、50フィートのアウトリガー・ポールを完成したのである。 | |
| ところが、ここでもう一回“しかし”となる。たしかに、その長大なアウトリガーは彼のフネのウェーキからベイトを離し、適当なアクションを加えてくれるものだったが、ひとたび波のある海面へ出ると、とんでもないアクションをベイトに加えることになった。なにしろ、途中で真鍮のスリーブが入っているとはいえ、50フィートの竹竿である。ベイトが波に突っ込んで抵抗がかかると、目一杯たわみ、反発力でベイトを水中から引き抜くと共にフネの20フィート前方へ“発射”してしまったという。念のために付け加えておくと、彼はベイトに飛び魚のアクションをさせようというつもりはまったくなかったのである。これでは50フィートのフライロッドでベイトを引いているようなものだ。 そこで、彼はその竹竿を多少“硬く”することで、それを避けようとした。適当な間隔で細い竹を十字形に組み合わせたスプレッダーを取り付け、そこに張線を張ることによって、いわゆる“トラスビルト型”のアウトリガーを作り上げたのだ。これは材質が竹という以外は、まったく現代のものと変わらない。1930年代前半のことである。 |
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ハッチの時代 |
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そのテクニック自体に関しては、おそらく他の筆者の方々が別な記事でご紹介してくださることもあると思うので、ここでは大まかな理屈だけを述べることにするが、要するに、ベイトを引くラインの途中に“たわみ(ドロップ・バック)”を設けることで、魚がヒットしてからそのベイトをしっかりと食い込む(あるいは飲み込む)までの間、それをフリーにする時間を作り出すというものである。この“たわみ”を設けるためには、ロッドの先端から出たラインを、もう一度、どこかに留めて置く(むろん、それは魚のヒットと同時に外れる仕掛けをしておかなければならないが)必要があるわけだが、その機能をアウトリガーに持たせたわけである。ハッチは最初フネの両舷に張りだした竹竿を用いたが、後には張線を使わないカタチの、ある種のトラスビルト型アウトリガーを自身のフネに取り付けている。彼もまた、アウトリガーというものの開発史の中で、重要な役割を果たした人物ということになるだろう。 | |
| しかし、ハッチのボートに取り付けられていたスタイルのアウトリガーは、一世を風靡したものの(同型のものは一時ヘミングウェイの愛艇ピラールにも取り付けられていた。※当ウェブ第1章ヘミングウェイの項参照)、その後は主流となり得なかった。写真を見ていただくと分かるのだが、やはりこの構造では重すぎたのである。少なくとも、ギフォードのように50フィートものアウトリガーを作ったとしたら、重すぎてセッティングが大変だったはずだ。しかし、ハッチのそれは、自身が考えだしたドロップバック・テクニックの完成の大きな助けとなった。これはリールとロッドという2つの道具に、アウトリガーを組み合わせた釣法を、カイトなどとは違った視点で考えだしたものとして、高く評価され、アウトリガーのスタイルこそ変わったが、現代につながるメソッドとなった。 |
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テクノロジーの時代 |
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彼が作り出したそれは、構造的にそれほどギフォードのアウトリガーと変わるところはなかったのだが、材質がまったく異なっていた。まずポールをはじめとしたすべての基本構造はアルミのパイプである。先端には、いくらか柔軟性を持たせたFRPのポールが用いられ、従来の竹竿を先端に取り付けたものと似たような特性を出している。スプレッダーもキャスティングによって成形されたアルミ。現在、アウトリガーのスプレッダーは“メタル・スパイダー”と呼ばれているのだが、そういう呼称ができたのは、このライボヴィッチのそれが登場してからということになる。そしてスプレッダーから張られる張線はステンレス製だった。 | |
| 舷側に突き出された単純な竹竿を、スプレッダーと張線で補強し、トラスビルト型のアウトリガーの基礎を築いたのは、トミー・ギフォードというひとりのボーターであった。しかし、さらにそれを発展させることができたのは、当時のハイテク素材に目を向けたライボヴィッチだった。フィッシングに新しい素材のテクノロジーを積極的に取り入れるべき時代が、始まっていたのである。 |