Summer of 2003
ニューポート アングラーズ クラブの夏
―そして45年目のHIBT

写真・文:須賀安紀
Story&Photos by Yasunori Suga
スタート・フィッシング! スタート・フィッシング!! デッキハンド、エリンの天真爛漫な笑顔と陽に焼けた伸びやかな肢体が、男たちの女神となりそうな予感! カジキを少しでも知るために海に出ることで私たちは、カジキに夢を追うさまざまな人々と知り合うことができた。

Drinking, Laughing, Fishing
and Drinking Again
―飲んで釣って、また飲んで…


 發溂とした若さや情熱に出くわした時、ひるがえって人生の有限を強く自覚することがある。若さに対する嫉妬とか焦りとか、はたまたこの先、恋のひとつやふたつといった邪念に縁取られた自負に駆られてスポーツ・ジムで汗を流し、若さを筋肉に取り込んだような錯覚と心地良い疲労に安堵することもある。
 下田のJIBT(ジャパン・インターナショナル・ビルフィッシュ・トーナメント)では16年間のエントリーで、あまりにもカジキを愛するが故に一度もカジキを釣ったことがなかった『ニューポート・アングラーズ・クラブ』の浅見守男とその面々が昨年度、第24回JIBTで17年目のチャレンジにしてその禁を破り、優勝を果たしてしまったことが新たな始まり。その勢いをかって、今年で44回目を迎えたあのHIBT(ハワイアン・インターナショナル・ビルフィッシュ・トーナメント)に参加する事となった訳である。
 ハワイ島コナで8月18日から5日間に渡り繰り広げられたトーナメントで、私たちは連日のカジキとの遭遇と美酒に酔いしれ、洋上の夏を満喫した。
 太陽の光、ラインのテンションが伝えるカジキの動き、緊張と弛緩、それらは全て輝きに満ちた一瞬の刹那ではあるが、いつも心にみなぎる何かを与えてくれる。
 トーナメント3日目、私たちはデッキハンドのエリンと出会った。ボートキャプテンになることを夢見て『JACQUE APITO』で修業を重ねる彼女はカリフォルニア生まれの31才。「ボーイフレンドは、今はいない」という彼女の言葉に俄然、私たちのパッションに火がつき結果、この日はクロカジキとフウライカジキにタグを打った。この時点で『ニューポート・アングラーズ・クラブ』のポイントは前日の250ポイントに400ポイントを加え650ポイントとなり3位に躍り出た。あと2日間で更にポイントを重ね、1位になることをエリンに誓い、私たちはアイスボックスのビールを飲み干した。
 それにしても、洋上で飲む酒はどうしてこうも旨いのだろう。この10年間、陸で得たものと失ったもの、それらが海の上では実につまらないものに思えることもある…。


推定130ポンドのスモール・ブルーに手際良くタグを打ちリリースするエリン(右)。今年の秋にはケアンズにも行きたいという彼女、モンスター・ブラックのパワーに応えるガッツは充分だ。エリンが晴れてキャプテンとなった暁には是非ともチャーターしたいもの…。

POP-UP ARCHIVAL TAG
―Great interest for Billfishes
夢が放たれた。7月のJIBTでも、そして8月のHIBTでも…


 今年のコナは5月2日に1014ポンド、7月5日に1258ポンド、8月11日に1065ポンドと、既に3尾のグランダーが記録されていただけに、私たちの期待は高まるばかりであった。
 HIBTでは1986年より『タグ&リリース』のポイント・カテゴリーがトーナメント・レギュレーションに加えられた。そして1994年には『San Rafael Billfish Club』がHIBT史上初めてリリース・ポイント(50ポンド・ラインによる5尾のクロカジキ:総計1500ポイント)のみで優勝を果たしている。
 ちなみに同トーナメントにおけるリリース・ポイントはクロカジキとシロカジキが50ポンド・ラインだと300ポイント、80ポンド・ラインだと250ポイント。マカジキとバショウカジキが50ポンド・ラインだと200ポイント、80ポンド・ラインだと150ポイント。フウライカジキは50ポンド・ラインだと100ポイント、80ポンド・ラインだと50ポイントとなっている。
 1990年代にはアーカイバル・タグがバーバラ・ブロックをはじめとする研究者たちの手によって装着されたこともあるが、2000年代に入り、衛星を利用した『ポップアップ・サテライト・タグ』が積極的に導入されている。
 トーナメント4日目、私たちは『PAMELA』船上で斉藤公夫の推定150ポンドのクロカジキ(50ポンド・ライン)にポップアップ・タグと通常タグを打つことに成功。タグの浮上設定は1年後で来夏、私たちの夢の船跡が明らかになる日を待つことは大きな楽しみでもある。
 これで私たちはトータル・ポイントを950としたが、前日まで2位につけていたチーム(Tournament Anglers)はこの日2尾のカジキをリリースし、トータル・ポイントを1300としていた。1位の『Pajaro Valley Game Fishing Club』は1674ポイント。同チームはリリース・ポイントの他に、何と500ポンド・オーバーを2尾ランディングしており、既にHIBTでも2度の優勝を経験している強豪だけに心安らかならざるものがあった。最終日、なんとかあと2尾をリリースし、2位を確保すると同時に『タグ&リリース賞』を手にしたいというのが私たちの目論見ではあった。



何とこの小さなサンプル・ボトルの中に7尾のクロカジキの稚魚が入っている。コナ沖で採取されたものだ。

カジキの体力が回復し、確実なリリースがなされてこそリサーチの成果が期待できる。鰓に新鮮な海水を送り素速く海に還すことが基本。デッキハンドの腕の見せどころである。

今年のHIBTではビルフィッシュの調査報告が多く公開された。資源管理はトーナメントの大きな命題となりつつある。
See You Next year!
2003年8月21日、百戦錬磨のつわものキャプテン、ピーター・ホッジスの『パメラ』船上で打ったポップアップタグは一年後に浮上予定だ。


Unforgettable…
ー逍遙する夏


Sentimental Summer
タグを打ち海に還した4尾のクロカジキと
1尾のスペアフィッシュ


 今年92歳になるジョージ・パーカーは既に引退こそしたものの、コナのチャーター・ボートキャプテンの草分けであり開拓者であった。HIBTの歴史は1959年に遡るが、それ以前の1954年から彼はボートキャプテンであり続けた。今年のHIBT、表彰パーティーの席上、車椅子のパーカーは永年の功績を称えられ、参加したビルフィッシャーたちから大きな拍手を受けた。HIBTの創設者ピーター・フィジアンは畏敬の念を持ってパーカーの半生を語った。同時にそれはHIBTに対する彼自身の感慨であったような気もする。
 ジョージ・パーカーの二人の息子、マーリン・パーカーとランディー・パーカーは、それぞれチャーター・ボート『Marlin Magic』と『Huntress』で実績を上げ、その地位を不動のものとしている。
 1959年の第1回大会から1998年の第40回大会まで、HIBTは輝かしい成果と共に、ビルフィッシュ・トーナメントのステイタスを確実なものとしてきた。同時にそれは世界各地のビルフィッシュ・トーナメントに多大な影響を与え続けてきた。そのシステム然り、そのポリシー然り…。
 しかしこの栄誉あるトーナメントは1999年、突然のキャンセルを発表することとなる。そして翌2000年に第41回大会として再スタートを切った時、そのスケールは著しくダウンしたものとなっていた。それは世界的な景気の低迷、『ワールド・ビルフィッシュ・シリーズ』等に代表される世界各地でのトーナメントの増加、はたまた多額の賞金で心を揺さぶる“ジャックポット”トーナメントの乱立、さらにボランティアの不足を理由にする声もあったがそのスケールが全盛時の1/4以下に落ちた事は、このトーナメントをビルフィッシュ・トーナメントの頂点と考えていた人々に大きな落胆を与えたことは事実であろう。
 その全盛時に取材を続けていた私にとって2000年以降のHIBTに参加することは、今後のトーナメントの趨勢を見る上でも必要なことであった。
 アマチュアリズムに徹し、ビルフィッシュのリサーチとその有効活用、保護についてビルフィッシュ・トーナメントの在りようを考えるフィジアンの真摯な姿勢は今だ健在であった。そのことに感動はしたものの、その受け皿となる参加ビルフィッシャーの多くが、かなりの高齢であることに發溂とした発展を望むフィジアン自身の葛藤があるような気がした。
 最終日、私たちはさらに1尾のクロカジキをリリースし、トータル1250ポイントで大会を終えた。結果、『ニューポート・アングラーズ・クラブ』は3位に留まったものの、タグ&リリース・ポジションでは2位に終わってしまった。ハワイの10日間の夏は終わり、東京にもどった私たちはその後、トーナメントでのスナップ写真を持ち寄り祝杯をあげた。
 『JACQUE APITO』で撮った写真が、やはり一番輝いて見えた。


今大会の最大魚(516ポンド)は『Pajaro Valley Game Fishing Club』によって記録された。ファイトは夜に及び、帰港した時は午後8時をまわっていた。表彰パーティーにはかつて1000ポンドオーバーを記録したジル・クレイマーやジョージ・パーカーも姿を見せた。